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株式会社童代表の中川やす代です。



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不登校能力
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1090
少し極端な内容かもしれません。
私なりの解釈も入っています。
文章で書くと伝わりづらいこともあるかもしれません。
ぜひ一度、思風塾で直接先生に聞いていただければ・・・
☆☆☆☆☆☆☆
不登校能力
☆☆☆☆☆☆☆
学校に行かない、不登校というのも能力のひとつです。
命が学校に行かないと決断した。
学校に行かないということを主張できる能力をその子供は持っている。命は、生きようとする。その命が、学校に行くことを拒否している。
理性で考えると
「学校には、行かなければ行けない」「学校に行かないことは、悪いこと」
頭から「学校にいけ」では、反発するし、学校に行っても命の喜びはない。
その子供が、自分の欲求を主張できることを認めてあげる。
その上で、自分自身に問いかけさせる。
1.将来どんな人間になりたいか?
2.将来どんなことをやりたいか?
3.将来どんな生活をしたいか?
そのために今、何をすればいいのか。
簡単に答は出ないし、答が変わることもある。
1.やってみて、好きなことはなにか?
2.やってみて、興味関心が持てることはなにか?
3.やってみて、得意と思えることはなにか?
4.やってみて、他人よりうまくできることはなにか?(「天分発見の5つの方法」のうちの4つ)
を一緒に話して考えてみるのもひとつの方法です。
「学校へ行く意味がわからない」と子供が言う。
その時、どう答えるか。
学校では、生きる知恵は、教えてくれない。知識を教えるところ。
なぜ知識が必要なのか。
どれだけの知識を持っているかで、人間の自由度が決まる。
知識の量が、自由の大きさを広げる。
動物や植物は、体験でしか学べない。
人間だけが、体験だけでなく、知識として学ぶことができる。
知識だけ増えても、それを活かすことはその人の育つ環境や人間関係、気持ちの持ち方で変わる。
知識を知恵に変えるのは、命の底から湧いてくる
欲求や欲望、興味・関心・好奇心。欲求や欲望が湧いてくるのを否定する必要はない。
理性で、欲求や欲望を押さえつけることが続くと自分が見えなくなってくる。
「自分を知る」「自分とつながる」第1歩は、命の底から湧いてくる欲求や欲望を持つこと。
欲求や欲望のままに動くのは、野獣。
湧いてきた欲求や欲望を、いかに人に迷惑をかけず、人の役に立つものにするかということに理性を使う。広く深く理性を使うためには、知識の量が必要になってくる。
どうすれば自分のやりたいことを、人に迷惑をかけず,やることができるかを考えるために、知識の量が役立つ。
人の協力を得るためには、人の気持ちがわからないといけない。
学校は、そのための経験・体験の場でもある。
もうひとつ大切なこと。
子供に勉強を教えてはいけない。
親の意見を強制しない。
子供に勉強を教えてもらうこと。
教えたら、教えたことしかしない。他の方法を考えなくなり、すぐに他に頼ろうとする。子供に教えてもらう。
「今日どんなこと習ったの?教えて?」
「お母さんは、小学校のときこんな問題がすごく苦ってだったの。
どうやって解いたらいいか教えて。」少し大げさでも、感心しながら、聞く。
うまく教えられたら、「よくわかったわ。ありがとう。明日もどんなこと習ったか教えてね。」
一緒に勉強する。一緒に絵を描く。共通体験・共同体験をたくさんすることも大切です。
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永遠の命と限りある命
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1089
悲惨な事件や事故が続いています。人間の命には、限りがあります。
健康であるとついついこの命がいつまでも続くものと、健康のありがたさを忘れてしまいがちです。
病気や怪我で入院したりしたときは、あらためて健康のありがたさを感じるのですが、
治ってしまうと意識しなくなることが多くあります。「これでいいのか」「この命何のために使うか」
自分自身に問い続けることがたいせつなことです。
☆☆☆☆☆☆☆
永遠の命と限りある命
☆☆☆☆☆☆☆
我々の個体的生命は、せいぜい早く年くらいです。
しかし我々のこの個体的生命の中には、地球上に生命が誕生して以来、ずっと生き続けてきた命があります。
我々の本体である命の年齢は38億歳なのです。
これを永遠の命といいます。
そして我々は生命の流れの中の約百年を生きる個体的生命です。
すべての命は常にこの永遠の生命と個体的生命の連関性を自分の命の中に宿して、現実の命として生きています。
我々は永遠の生命の流れの中の百年という人生を、
どう永遠の生命と関わって生きていけばよいのかと考えなければなりません。
我々は自分の中にある永遠の生命への思いを持って現実を生きる必要があるのである。
永遠の生命は、ただ生き長らえているだけではなく、進化するという歴史を形成しています。
命が進化するのは、各時代を受け持った命たちがその時代のすべての問題を乗り越えて必死で生き抜いてきたからである。
個体的生命は、この為になら死んでもよいと思われるものを持ったときに、最も美しく輝き燃え上がり生かされる。
個体的生命である我々は常に「何に命をかけるか、この命何の為に使って生きて死のうか」と思うこと、
これが限りある命の活かし方である。

繰り返し、繰り返し、繰り返し
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1088
量か質か
「平凡なことをどれだけ非凡に続けられるか」
と話される方もいます
☆☆☆☆☆☆
繰り返し、繰り返し、繰り返し
☆☆☆☆☆☆
繰り返し、繰り返し、繰り返してやってみる。
できるまであきらめない。
繰り返し、繰り返し、繰り返して、「万策尽きた」
「これ以上できることはない」というところまでやる。
それでもあきらめず結果が出るまで挑戦する。
本当の失敗とは、自分があきらめた瞬間です。
失敗は、その問題を乗り越える必要な能力とは何かということを教えてくれる。
理性で考えると「これ以上やってもムダ」となる。
万策尽きたと思ったときでも、「なにくそ!」と思えるかどうか。
理屈ではない。
失敗はない、すべて経験になる。
繰り返し、繰り返し、繰り返す。
万作尽きたと思っても、それでも繰り返すとき、眠っていた潜在能力が目を覚ます。
あきらめない限り失敗ではないのです。
失敗の連続は、成功への確率を増やしていくことです。
スポーツでも同じです。
考えてやっているうちは、まだまだです。
繰り返し、繰り返し、繰り返すことで、頭ではなく体が覚えたとき、
いざ試合のとき、体が自然に動くのです。
そうなったとき次のステージへのキッカケがつかめるのです。

人生は解釈力で決まる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1087
☆☆☆☆☆
人生は解釈力で決まる
☆☆☆☆☆
人生は解釈力で決まります。
事実は、ひとつですが、解釈は無限です。
過去の出来事や苦しかったことを、「あんなことがあったから、こうなってしまった」
ではなく「あんなことがあったからこそ、今がある」と考えられるかどうか。
物ごとには、どんなものでも二つの側面があります。臆病な人と慎重な人。
頑固な人と意志が強い人。
優柔不断な人と思慮深い人。
行き当たりばったりと臨機応変。
明るい人と軽い人。統率力がある人とワンマン。
同じような性格でも、プラスに見るのとそうでないのとでは、全く違ってきます。
人間は、ほめられると、その人の前ではその面をだそうとして、ついつい意識してしまいます。
明るい人でも、いつもどんな時でも、どんな人とでもそうとは限りません。
常にゆらいでいます。
宇宙には、秩序を求める働きがあります。
片方に触れすぎると元へ戻そうとする働きです。
プラスとマイナスがバランスを取り合っているのです。
どんな素晴しい改革も不利益を受ける人間が半分いる。
かといって変化しなければ成長はない。
どんな素晴しい改革でも不利益がいる人が半分いることを自覚して、その人たちのことを考えながら、改革を進めていくこと。
事件や犯罪があるから、どうすれば事件や犯罪を防ぐことができるか、減らすことができるかと考えることで、社会は発展するのです。
問題が起こることで、修正すべき点や改善すべきことがわかるのです。不完全を生きる。矛盾を内包した真実の世界を生きる。
命の痛みを伴った体験は、眠っていた潜在能力を目覚めさせ、経験として活かして人間を成長させてくれるのです。

この命何のために使うか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1086
☆☆☆☆☆☆☆
この命何のために使うか
☆☆☆☆☆☆☆
使命とは、この命何のために使うかこの命の使いどころです。
自分の使命とは何か。
「人生の作り方6つの原則」を問いの形にしてみました。
使命の見つけ方6つのチェックリスト
1.問題から逃げていないか?
2.時流に乗っているか?
3.命から湧いてくる欲求・欲望を大切にしているか?4.天分のツボにはまっているか?
5.現実への異和感を大切にしているか?
6.動いているか?

結婚は、恋の終わりで、愛の始まり
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1085
☆☆☆☆☆☆☆
結婚は、恋の終わりで、愛の始まり☆☆☆☆☆☆☆
「恋愛」という言葉から、恋と愛は同じ次元と考えられてきました。
愛と恋は、次元の違うものです。比べるものでもありません。
「愛」とは努力すること。
結婚して、長く一緒にいると「結婚する前と、この人は全然ちがう」
「変わった」「こんなはずじゃなかった」という場面が何度も出てくるようになる。
結婚するまでは、見えなかったこともある。
こんな人だと勝手に考えていたこともある。
そのギャップに気づいただけのこと。
相手も変わっているかもしれないが、自分も変わっている。
「恋」は、離れているから生じるもの。
離れているから、近づきたい、一緒にいたいという気持ちが湧いてくる。
「恋」している時には、アバタがエクボに見える。
結婚すると、アバタはアバタとして見えてくる。長く一緒にいると長所が見えなくなって、短所や欠点がクローズアップされてしまう。
自分の欠点や短所は見えづらい。自分にも短所欠点があると自覚しなければ、
他人の欠点短所が許せない。
人間は皆不完全です。
だから「愛」とは許すことからはじまる。
恋の病は、結婚すれば完治する。
多くの人は結婚して数年、いや数ヶ月ですでに“選ぶ相手を間違えた”と後悔する。
生活を共にし始めたらすぐ正気に戻るから。
アバタはもうエクボには見えなくなる。
結婚したら孤独でなくなる、淋しさが癒される、幸せになれるなんて、勘違いだと気づく。
夫婦関係はまさに人生最大の“行”。これほど人を成長させる人間修行はない。
愛を感情や情熱だと思っているために、夫婦や恋人たちは長く一緒にいると、
愛が冷めた、もう愛がないから別れましょうという話になってくる。
価値観、性格が合わないという理由で簡単に別れる。独占欲や所有欲、執着や嫉妬は、愛ではない。
人間は不完全だから誰かを愛したら嫉妬も感じる。
嫉妬によって関係性を破壊してしまうような行為に出るのは真実の愛から出たものではない。
自分では愛だと思っている自己中心的な感情であり欲望であり執着。
相手が自分の欲求や要求を満たしてくれなかったら消えてしまうような愛は、
とても幼い、未熟な愛です。
恋は、正しい理性が働かなるために修羅場を作るが、愛は正しい理性と一緒になることで育くまれていくものです。
真実の愛には、待つ時間、耐える時間、許す力、信じる力、愛し抜く力、責任
といった意志の力や判断力・決断力、忍耐力、努力が不可欠なのです。恋は自然、愛は芸術。
愛は文化なのです。

一灯照宇の志
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1084
☆☆☆☆☆
一灯照宇の志
☆☆☆☆☆
一灯照隅という言葉がある。
たとえ一本のロウソクでも身の周りを照らせば明るくなる、
全ての始まりは常に小さなところから始まります。
ひとつの灯火が片隅を照らす。
一灯照隅ということも大切です。
そこからさらに・・・
その灯火が次の灯火を点け、また次の灯火を点ける。そして多くの灯火が全国を照らし、ひいては地球を照らす。
さらには宇宙を照らすというくらい大きな志を持って行動する。
大きな夢や目標を持ち、行動は小さなことから始める。
賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つことを何十年と継続していけば必ずものになる。
芳村思風先生がよく本にサインされる言葉です。

時流独創の精神
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1083
☆☆☆☆☆☆☆
時流独創の精神
☆☆☆☆☆☆☆
天分のツボにはまり、時流に乗って、自分らしさをつくるために
自分自身に問い続ける
時流独創の精神6つの問い
1.自分の心を本当に納得させるものを理屈ぬきに追い求めているか?
2.固定観念・先入観念から自分を解放しているか?
3.自分の使命は何であるかを知っているか?知ろうとしているか?
4.命から湧きあがる欲求・欲望・興味・関心・好奇心を持っているか?5.現実への異和感を大切にしているか?
6.有機的統合能力を磨いているか?

感性論哲学的歴史観10の原則
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1082
☆☆☆☆☆
感性論哲学的歴史観10の原則
☆☆☆☆☆
人間の未来にとって最も重要なことは、
10年先はこう成る、という人類の意志とは無関係な科学的未来予測ではなく、
「10年先は、こうあらねばならない」と人間の主体的な意志によって決断された哲学的理念です。
 1.歴史は風土と民族と国家と思想を変えながら進んでいく。
 2.すべての存在は、存在する事への必然性を持って存在している。
 3.すべての存在は、存在する事への必然性を実現しきった時、完成され衰退していく。 4.一度完成された形式に到達したものは、保守化して時代に取り残され衰退する。
 5.一度歴史的使命を果たし終え、潜在的能力を出し切ったものは、
  2度と歴史の主役にはなり得ない。

 6.人類は人類としての潜在能力を実現しきった時に衰退する。
 7.世界歴史を動かす力が2つある。それは因果律と自由律である。
 8.時代を興す原理は、また時代を滅ぼす原理でもある。
 9.不安を解消し安心を実現する事を目的に歴史が創られる。
10.時代欲求や時代感情(時代感性)が歴史の方向性を決定する。

感性型フォロワーシップの10か条
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1081
昨日の感性型リーダーの10条件と合わせて読んでみてください。
☆☆☆☆☆
感性型フォロワーシップの10か条
☆☆☆☆☆
チェックリスト形式、問いの形にしてみました。
リーダーが知っておかなければならないフォロワーの条件。
リーダーは、フォロワーにこれを強制してはならない。
「フォロワー」とは、どうあるべきかを知り、片腕を作り上げるための指針とするもの。1. リーダーの夢をわが夢としているか(夢の共有ができているか)
2. リーダーにとっての名参謀に徹しているか
3. フォロワーの気持ちをリーダーに素直に伝える・教える・語ることをしているか
4. リーダーを育て、成長させることを考えているか5. リーダーの短所を補い、責めないでいるか
6. 理屈を超えてリーダーに従い、リーダーを守っているか
7. 仕事を通じて、自己を成長させる努力をしているか
8. 人の役に立つ、人に必要となる人間となるよう心がけているか
9. 会社の中での地位や立場・役割を自覚して働いているか
10. 今、自分のしていることの意味や価値を確認しながら働いているかまた意味や価値を伝え、同僚や部下にも考えさせているか

感性型リーダーシップの10か条
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1080
昨日のリーダーの3条件と合わせて読んでみてください。
☆☆☆☆☆
感性型リーダーシップの10か条
☆☆☆☆☆
チェックリスト形式、問いの形にしてみました。
1.人に教えることのできるずば抜けた能力を持っているか
または、人の持っている能力を引き出す活人力を持っているか
2.人間的魅力・人望・人格があるか3.勇気ある行動力をもっているか
4.歴史観に基づいた先見性をもっているか
5.情熱を持って自分の夢・自社の夢を語れるか
6.自分の生き方を支える自分の哲学(マイフィロソフィ)をもっているか
7.人間として成長意欲をもっているか
8.創意工夫の精神があるか、出来上がっているものを破壊する勇気があるか
9.文化力を身につけているか
10.包容力に富んでいるか・人をまとめていく統率力があるか

3つのリーダーの絶対条件
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1079
☆☆☆☆☆☆☆
リーダーの条件
☆☆☆☆☆☆☆
3つのリーダーの絶対条件
1.問題から決して逃げない。
2.あれこれ迷わず決断し、断ち切る力を持つ。
3.限界への挑戦意欲を持つ。

自分の哲学を持つ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1078
おはようございます。
哲学と聞いてどう感じますか?
哲学は難しい。生活や仕事には関係ない。
と思われた方も多いと思います。
科学は、「もっと知りたい」を追及し、
哲学は、「もっと幸せになりたい」を追求する学問です。
☆☆☆☆☆☆☆
自分の哲学を持つ☆☆☆☆☆☆☆
感性論哲学は、実践の哲学です。
学ぶだけでは、意味がありません。哲学というと難しい、生活に必要ない、知らなくても何の影響もない、経営に関係ないと思われるかもしれません。
哲学は、「もっと幸せになりたい」という命から湧いてくる欲求、幸福欲を実現するためのものです。
哲学は、生活の中で一人ひとりの命を生かす学問です。
誰もが持っていなければならないものです。
理性を使って、未来を考える。将来は、どうなるかではない。
「将来、こうなりたい」
すべての革命や変革は、たったひとりから始まります。
赤字企業が高収益企業に変わるのも、トップの哲学からです。
国もたった一人の政治家から変わるのです。
哲学は、破壊の学問です。
実践に活かすための学問です。
現状を変革するには、今あるものを壊さなければいけません。
どんな素晴しいものでも、時代と共に価値観が変わったり、
人々の欲求が変わってくると、変化させなければなりません。
常識で考えるのではなく、常識を考え、よりよい方向へと変えていくための学問です。
自分の芯を作る。芯をしっかり作っていないと、つぎはぎだらけで自分が無くなってしまいます。
それが○○流哲学、○○哲学です。○○には、自分の名前を入れる
芯とは、命から湧いてきた夢や理想を実現するために「これだけは譲れない」というものです。
いろいろな考え方や価値観を学び、今の自分に必要なところだけを取り入れて、
自分の哲学を成長させ、実践していくことに意味があるのです。

自分の価値は、他人が決定する
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1077
☆☆☆☆☆☆☆
自分の価値は、他人が決定する
☆☆☆☆☆☆☆
自分が努力して能力を身につけ、「私はこんなすばらしい小説が書ける」と主張しても、それを買って読んでくれる人がいないと小説家には、なれません。
どんなすばらしい能力でも、他人がそれを認めてくれなければ、
その人は現実において無価値な人間となるのです。
「人の己を知らざるを患(うれ)えず。その能くすることなきを患う。」孔子
認められないと言って嘆くな、人に認められるほどの能力がまだ自分にできていないことを心配しなさい、という教えです。人が認めざるを得ないところまで自分を磨きなさい、ということです。価値は、他人が決定する、ということを忘れてはいけません。
その上で、自分の心の底から湧いてくるものには必ず潜在能力があると信じて、繰り返しやること。
楽しんでやること。

本物の人間になるために
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1076
☆☆☆☆☆☆☆
本物の人間になるために
☆☆☆☆☆☆☆
本物の人間になるため、常に自分自身に問いかけなければいけないことがあります。
1.人間で在(あ)るとは、どう在ることか。
2.人間に成るとは、どう成ることか。
人間は、生まれたときは、動物学上の分類における人類にすぎません。生まれた後に努力して、人間としての格を獲得して人間になるのです。人間を「経営者」「教師」「政治家」「父親・母親」・・・と自分の立場に置き換えて考える。
正解はない。時代によっても変わる。
「私はこう思う」という答を持たなければ、損得だけで動いてしまう。大切なことは、答を持ちながらも、問い続けること。固定してしまうと、自分と違う考え方の人と、対立が生じる。争うことになる。
常に問い続けること。

人間であることを誇りとして生きる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1075
☆☆☆☆☆☆☆
人間であることを誇りとして生きる☆☆☆☆☆☆☆
境涯論(3)
人間は長い間、人間でありながら他のものにあこがれてきました。
古代においては超越的な強大な力にあこがれ、中世においては神仏にあこがれ、
近代においては理性にあこがれて理性的になろうとしてきましたが、
今日にいたって、ようやく人間でありながら他のものにあこがれることの間違いに気づいて、
これからは人間であることに感謝し、母なる宇宙のよって人間に生んでいただいたことを喜びを持って素直に受け入れ、人間であることを誇りとして生きることこそ、母なる宇宙の期待に応える正しい人間としての道であるという自覚に到達したのであると思います。詳しくは、「人間の境涯」(致知出版社)平成23年2月発行をお読みください。

人間を生きるとは、不完全であることを肯定し、不完全を生き抜くこと
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1074
☆☆☆☆☆☆☆
人間を生きるとは、不完全であることを肯定し、不完全を生き抜くこと☆☆☆☆☆☆☆
境涯論(2)
感性論哲学は、母なる宇宙の愛の摂理によって命が与えられた人間として、
人間であることを大切にし、人間であることに感謝して、人間を生き抜く哲学です。
人間を生きるとは、不完全であることを肯定し、不完全を生き抜くことです。
常に不完全でなる存在としての自覚を基礎に、実践を通して、いかなる気づきが生まれ、どこまで成長が達成されるかが、感性論哲学の境涯論なのです。
この不完全を生きるしかない人間が、人間の格を追及し、人間としての成長を遂げていく道筋を7つの段階を持つものとして学問的に体系化したものが感性論哲学の境涯論です。(続く)
「人間の境涯」(致知出版社)より

自分まわりの人を幸せにする力を持って本当の幸せを実感できる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1073
☆☆☆☆☆☆☆
自分まわりの人を幸せにする力を持って本当の幸せを実感できる
☆☆☆☆☆☆☆
境涯論(1)
境涯とは、その人の全人格的な成長の水準を意味する。
人間は、自分だけが幸せになるのではなく、まわりの人をも幸せにする力を持って、
初めて本当の幸せを実感できます。人間は、一人では生きられない社会的存在である。
そのためには自分をも他人をも幸せにする力を養って、初めて人間の境涯は成長する。
この力が、人間力です。
境涯論は、西洋には存在しません。西洋においては人間性や性格や個性は神によって与えられ固定されていて、
努力して成長させるものではないと考えられています。
人格を磨いて人間性を成長させる体系としての境涯論は出てくる余地がないのです。
英語には、人格という言葉はありません。
東洋においても体系的な境涯論は仏教における「十界論」しかありません。
しかし仏教における境涯論は人間が人間界を超え出て仏の境地をめざすという宗教的な意図があります。
感性論哲学におけるは、人間でありながら神仏の境地に憧れ、神仏を目的にする哲学ではありません。
肉体や感情を持つ人間でありながら、神仏の完全性を目的にすることは「人でなし」をめざすことになるからです。
(続く)
「人間の境涯」(致知出版社)より

最高の出逢いとは
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1072
☆☆☆☆☆☆☆☆最高の出逢いとは、自分を最も輝かせてくれる人との出逢い。
☆☆☆☆☆☆☆☆人生は、出会いによって作られる。人との出会い。物との出会い。出来事との出会い。
いろいろな出会いにより、道が決まっていく。
縁は、自分から求めて作れるものではありません。
人智を超えた「計らい」によって与えられるものなのです。
今、自分の目の前にある問題から逃げずに努力を続けることが、縁を呼び寄せます。
自分のしたいことがわからない時は、今与えられている仕事に全力を尽くすこと。
今、縁のあることを必死にやってみること。縁のある人を大切にすること。
今やっていることの意味や価値やすばらしさを感じてみること。
そこから、新しい道が見えてくることがある。
考えているだけでは、答はでません。
いくら考えても、問題や悩みは解決しない。とにかくやってみる。
必死で出てくる問題を乗り越える努力をしていると、新しい出会いもまた生まれてくるものです。

理屈を越える
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1071
☆☆☆☆☆☆☆
理屈を越える
☆☆☆☆☆☆☆
感性の本質は、求感性(求感性)。今までは、感性=感受性とされてきました。
感受性は、消極的・受動的能力です。
求感性とは、自分が生きていくために必要な情報を自ら積極的に求めて感じ取ろうとする働き。
感受性を高めるには、求感性を高めることが大切です。
求める気持ちが強いほど、感受性が強くなるのです。求めるから、感受できるのです。
また、感性から湧いてきたものをいかに形にしていくか人の役に立つものとしていくかを考えるのが理性です。
理性だけで、やりたいことや夢や理想を考え、
その実現方法を考えると、問題が出てきたら、すぐにあきらめてしまいます。
理性で考えたものなので、理屈を越えた力は、でてきません。
感性から湧いてきたものは、「難しいかもしれないけど、なんとしても実現したい」という気持ちがあるので、理屈を越えた力がでてくるのです。
感性と理性は、バランスではなく、感性と理性の協力関係をつくることが大切なのです。

なぜ学校へ行くのか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1070
☆☆☆☆☆☆☆
なぜ学校へ行くのか
☆☆☆☆☆☆☆
「学校へ行く意味がわからない」と子供が言う。
その時、どう答えるか。
学校では、生きる知恵は、教えてくれない。知識を教えるところ。では、なぜ知識が必要なのか。
今の世の中では、どれだけの知識を持っているかで、人間の自由度が決まるからです。
知識の量が、自由の大きさを広げる。
学校へ行くことで、選択肢の幅が広がるのです。
動物や植物は、体験でしか学べない。人間だけが、体験だけでなく、知識として学ぶことができる。
知識だけ増えても、それを活かすことは、その人の育つ環境や人間関係、気持ちの持ち方で変わる。
知識を知恵に変えるのは、命の底から湧いてくる欲求や欲望、興味・関心・好奇心。
欲求や欲望が湧いてくるのを否定する必要はない。
理性で、欲求や欲望を押さえつけることが続くと自分が見えなくなってくる。
「自分を知る」「自分とつながる」第1歩は、命の底から湧いてくる欲求や欲望を持つこと。
抑えないこと。しかし、欲求や欲望のままに動くのは、野獣。
湧いてきた欲求や欲望を、いかに人に迷惑をかけず、人の役に立つものにするかということに理性を使う。広く深く理性を使うためには、知識の量が必要になってくる。
どうすれば自分のやりたいことを、人に迷惑をかけず,やることができるかを考えるために、知識の量が役立つ。
人の協力を得るためには、人の気持ちがわからないといけない。
学校は、そのための経験・体験の場でもあるのです。

命には、命よりも大切なものがある
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1069
☆☆☆☆☆
命には、命よりも大切なものがある☆☆☆☆☆
生命には目的があります。
この生物学的事実をどのように「人生を生きる力」に変えていくか。
ただ生きるのではなく、目的を実現するために生きるのが、生命です。命というものは、目的を実現するために生きているのです。
命には、命よりも大切なものがあります。
それが「生きる」ということです。命をかけても、命を捨てても実現しなければならない目的があって、はじめて命なのです。
命というものは、生きたいと思っています。
命がいちばん喜ぶとき、命がいちばん輝くときは、どんなときか。
それは生きたい生きたいと思っている命が、「このためなら、俺は死ねる。このためになら、死んでもいい。このために死ねたら本望だ」と、いうものと出会ったとき、命はもっとも美しく、激しく燃え上がるのです。
命が、いちばん輝く瞬間です。
命は、「このためになら、死んでもいい」というものを持たなければ、燃えません。
これが、命の究極の原理なのです。「燃えて生きる」「命を燃やして生きる」というすばらしい生き方をしようと思ったら、「このためなら、俺は死ねる」、「何に命をかけて生きるのか」、「この命を何のために使うのか」、「自分にとって命より大切なものはなにか」、それをつかんだ時に最高の人生が始まるのです。
「死んでもいい」といえるものとの出会いを求めて、生きなければいけません。

人生は意志と愛のドラマ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1068
☆☆☆☆☆
人生は意志と愛のドラマ
☆☆☆☆☆
人生の目的とはなにか、人生の究極の目的とはなにか。
人生の目的を、学問的に考える場合には「生命の目的とはなにか」ということから考えていかなければいけません。
人間も一個の命です。「生命の目的とはなにか」を知るところから、人生の目的が解明する。
これが学問的に人生を考えていくための方法論です。これまでは、「人生を生命との関係性で考える」という哲学がありませんでした。
「生命は、生物学の問題であり、人生は、哲学の問題である」という、まったく別の領域で考えられていました。
今は、統合の時代であり、あらゆる学問が、統合的に関わって人生というものと関連してくるという時代になってきています。
人生の根底には生命があり、生命の目的を考えなければ、人生の目的が明確になりません。
「生命の目的」とは、「自己保存と種族保存」です。この自己保存と種族保存というものが、人間という命から表現されるとどうなるのか。
生命の目的である自己保存と種族保存とは、欲求として湧いてくるものです。
「自己保存の欲求」が、人間の命から湧いてくるとどうなるのか。
これは、「意志」になります。
「意志」とはなにか。意志とは、自己実現の力です。自己実現とは、仕事において成功するということです。
もう1つの「種族保存の欲求」とはなにか。
種族保存の欲求が、人間という命からでてくると、「愛」になります。「愛」とは、人間と人間を結びつける力、人間関係の力です。
意志は、自己実現の力で、愛は、人間関係の力です。愛の究極の目的は、すばらしい人間関係をたくさん作っていくことです。
ここに人生の究極の目的があります。
人生の目的は、意志を実現することと、愛を実現することであり、仕事において成功して、すばらしい人間関係をたくさん作っていくことが人生の究極の課題です。
人生は、意志と愛のドラマなのです。

矛盾を生きる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1067
☆☆☆☆☆
矛盾を生きる
☆☆☆☆☆
生きていうということは、変化していると言うこと。変化がなくなったら、死んでいる。平衡を保つとは、やじろべえのように、左右にゆれながら、ゆらいでいる状態。
静止している状態はありえない。
大きく落ち込んだ時は、大きく変わるための準備。
反対意見は、あって当然。
どんないいことをしても、半分は損をする人がいる。反対意見のいいところを探し、取り入れる方法はないかを考える。
損をする人に対して、どう対応するかを考え、配慮する。
完璧な答や、方法はありません。
次のステップへ行くためには、用意周到な準備も必要。
大切なことは、「先ずはやってみる」。
固定化に対し、変化を求める。
真理ではなく、真実を求める。
矛盾を排除するのではなく、矛盾を内包する。
矛盾を内包した真実の世界を生きる。
普遍的なものを求めていくと、硬直化してしまう。
揺らぎながら、その時の最適なものを求めていく。
ぶれてもいい。ぶれない人はいない。
最終的な夢や目標をしっかり持つ。考え方や方法は、時代や環境、状況に合わせて変わっていく。
感性論哲学の真髄は、「矛盾を生きる」こと。
揺らいで候。

感性論哲学は、実践哲学
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1066
☆☆☆☆☆☆☆
感性論哲学は、実践哲学です
☆☆☆☆☆☆☆
学んでも実際の生活や仕事に活かせなければ、勉強しても意味がありません。
現場の経営に活かせなければ意味がない。
哲学は、破壊の学問。 パンクです。
現状に違和感を感じ、現状を破壊し、新しい物を構築していく。。
少しでもより良いものにしていくためのもの。
哲学は、自分自身の芯を作るもの。セミナーを受講した後どう動くかが大切。受講するだけでは何の意味もない。
自社の理念もその役割を果し終えたとき、進化発展させなければならない。
固定させなければいけないことはない。
変化しなければ、生きているとは言えません。
生きているとは、変化していること。
どんな小さなことでもいい変化させる。
朝、会社に行けばカーテンが替わっている。階段にスベラーズが貼ってある。机に花が活けてある。
社員の誕生日・奥さんの誕生日に社長から花束を贈るようにする。
社員のために、社員が働きやすいように会社を変化させ続ける。
社員は、お客さまのために働く。
経営者は、社員のために働くこと。 哲学は、考える学問ではない。
自分の考えの芯をつくるもの。
しっかりした芯ができれば、少々の問題が起こってもくじけないで向かっていける。
学んだことは、実践に活かせなければ意味はない。
感性論哲学は、実践哲学。
現実の中から違和感を感じとり、問題を感じ取る。
出てくる問題を乗り越え続けること。
問題がないことを望んではいけない。
問題がないとは、成長がないこと。問題がないことが、幸せではない。しっかりした芯を持っていれば、多少のことでは考えは、ぶれない。 乗り越えていける。
セミナーで学んだこともすべてを取り入れる必要はない。
感性論哲学も自分にとって必要なところだけを学んで、取り入れればいい。
自分の考えは、変えなくていい。変えてはいけない。他の人の考え方・意見のいいところだけ、自分に必要なところだけを取り入れて、自分の考えを成長させること。
大切なことは、
実行すること。
実践すること。
変化を作り出すこと。
現状から1歩でも進むこと。

常識を考える
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1065
☆☆☆☆☆☆☆
常識で考えるのではなく、常識を考える
☆☆☆☆☆☆☆
理性の時代から、感性の時代に変わろうとしています。
理性で考えると「真理はひとつ・真理は不変」になる。
真理にとらわれると、常識の枠からでることができない。
真理は時代と共に変化するもの。
非常識なことが、大きな進化・発展につながることがある。
常識で考えていたら、できないことでも、そこに異和感を感じた時、
それが新しい時代を創るキッカケになる。
常識を超え、命の底から湧いてくるものの中から、時代を進めるキーワードが見えてくる。
激動の時代は、常識が常識でなくなるとき。
明治維新の英雄も、江戸幕府の人間から見れば、体制に対する反逆者だった。
正しいか間違いかどうかではなく、今まで誰もやったことのないことをやる、
考えたことのないことを発信する。歴史を作る人は、体制に逆らい、常識に逆らうことを恐れない。
天動説主流のときに、「地球が太陽の周りをまわっている」と
地動説を唱えたコペルニクスもガリレオも、迫害を受けながらも自説を唱え続けた。
何かおかしい・・・そんな異和感が時代を変える。
異和感が時代を進化させる。
異和感を感じた人だけが、それを変えることができる能力がある。
「千古の教場を去るべきとき」が来ている。古い教えは、大切なもの。古いものから学びながらも、これを1歩でも越える勇気と冒険心を持ち、
努力をしていくことが大切なのです。
常識を考えることから、新しい時代が始まるのです。異和感とは・・・辞書では違和感。感性論哲学では、違いではなく異なるだけ。
違いは対立を生む。

円熟ではなく、角熟をめざす
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1064
☆☆☆☆☆☆☆☆円熟ではなく、角熟をめざす
☆☆☆☆☆☆☆☆今までは、円熟という欠けたものがないものを理想としてきた。
人間には短所があり、個性があり、失敗しながら、罪を犯しながら成長していきます。まん丸にはならないのです。
角張ったまま成長していくのです。これが「角熟」という生き方です。人間は、不完全だから、どんな人間にも長所が半分、短所が半分あります。短所を気にしてはいけません。短所をなくす必要はありません。
長所が伸びれば短所は人間味、味に変わるのです。
短所が味に変わるまで長所を伸ばすこと。
円熟ではなく、角熟こそ最も個性ある生き方です。
個性のある本物は、角張ったまま熟していくのです。角張ったまま熟していくところに、個性ある本物の人間の姿があります。
現実を肯定し、現実を活かしきる感性を原理にして、欠点があり、短所があり、
角張ったまま熟していく生き方を人間の理想にしていくこと。
個性ある人間の理想は、角熟です。円熟にならなくていい、角張ったところはそのまま残し、長所を伸ばす。
円熟をめざすな、角熟をめざせ。

天分発見のツボ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1063
☆☆☆☆☆☆☆
天分発見のツボ
☆☆☆☆☆☆☆
天分を見つける5つの問い
1.やってみて、好きになれるかどうか?
2.やってみて、興味関心が持てるかどうか?
3.やってみて、得手・得意と思えるかどうか?
4.やってみて、他人よりうまくできるかどうか?
5.真剣にやってみたら、問題意識がわいてくるかかどうか?
5つに共通することは、「やってみること」・実践することです。
天分のツボに、はまった人生ほど面白いものはありません。
5つすべて当てはまる必要はありません。
当てはまるのが多いほど、ツボはまっているということです
そして、その天分を開花させるのは、
天分がこれだと感じたら
繰り返し、繰り返し、繰り返すこと

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