トップページサービス内容会社案内個人情報保護方針お問い合せサイトマップやす代ブログ


 
プロフィール

中川やす代

Author:中川やす代
株式会社童代表の中川やす代です。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


自分まわりの人を幸せにする力を持って本当の幸せを実感できる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1028
☆☆☆☆☆☆☆
自分まわりの人を幸せにする力を持って本当の幸せを実感できる
☆☆☆☆☆☆☆
境涯論(1)
境涯とは、その人の全人格的な成長の水準を意味する。
人間は、自分だけが幸せになるのではなく、まわりの人をも幸せにする力を持って、
初めて本当の幸せを実感できます。人間は、一人では生きられない社会的存在である。
そのためには自分をも他人をも幸せにする力を養って、初めて人間の境涯は成長する。
この力が、人間力です。
境涯論は、西洋には存在しません。西洋においては人間性や性格や個性は神によって与えられ固定されていて、
努力して成長させるものではないと考えられています。
人格を磨いて人間性を成長させる体系としての境涯論は出てくる余地がないのです。
英語には、人格という言葉はありません。
東洋においても体系的な境涯論は仏教における「十界論」しかありません。
しかし仏教における境涯論は人間が人間界を超え出て仏の境地をめざすという宗教的な意図があります。
感性論哲学におけるは、人間でありながら神仏の境地に憧れ、神仏を目的にする哲学ではありません。
肉体や感情を持つ人間でありながら、神仏の完全性を目的にすることは「人でなし」をめざすことになるからです。
(続く)
「人間の境涯」(致知出版社)より
スポンサーサイト

偏見は誰にでもある
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1027
☆☆☆☆☆☆
偏見は誰にでもある
☆☆☆☆☆
自分にも偏見があることを自覚している人は少ない。理性的に合理的に判断して、正しい判断をしていると思っている人は、自分に偏見がないと思っている。
実はその人はすべてを合理的なものへと歪めてしまうかたよったものの見方をしている。人間には、本当の実体や全体はわかりません。
科学は一部分の領域しか見ていません。
実体は、全分野、全領域がからみあった有機性なのだから、科学ではほんとうのことはわかりません。
だから学問も偏見です。
偏見は、誰にでもあります。
偏見は、なくなりません。
人間が偏見を超えるためには、決して偏見を無くそうとはせずに、自分には偏見があるという現実と事実を自覚し、
認めることから出発しなければいけません。

常識で考えるのではなく、常識を考える
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1026
☆☆☆☆☆☆☆
常識で考えるのではなく、常識を考える
☆☆☆☆☆☆☆
理性の時代から、感性の時代に変わろうとしています。
理性で考えると「真理はひとつ・真理は不変」になる。
真理にとらわれると、常識の枠からでることができない。
真理は時代と共に変化するもの。
非常識なことが、大きな進化・発展につながることがある。
常識で考えていたら、できないことでも、そこに異和感を感じた時、
それが新しい時代を創るキッカケになる。
常識を超え、命の底から湧いてくるものの中から、時代を進めるキーワードが見えてくる。
激動の時代は、常識が常識でなくなるとき。
明治維新の英雄も、江戸幕府の人間から見れば、体制に対する反逆者だった。
正しいか間違いかどうかではなく、今まで誰もやったことのないことをやる、
考えたことのないことを発信する。歴史を作る人は、体制に逆らい、常識に逆らうことを恐れない。
天動説主流のときに、「地球が太陽の周りをまわっている」と
地動説を唱えたコペルニクスもガリレオも、迫害を受けながらも自説を唱え続けた。
何かおかしい・・・そんな異和感が時代を変える。
異和感が時代を進化させる。
異和感を感じた人だけが、それを変えることができる能力がある。
「千古の教場を去るべきとき」が来ている。古い教えは、大切なもの。古いものから学びながらも、これを1歩でも越える勇気と冒険心を持ち、
努力をしていくことが大切なのです。
常識を考えることから、新しい時代が始まるのです。異和感とは・・・辞書では違和感。感性論哲学では、違いではなく異なるだけ。
違いは対立を生む。

意味や価値やすばらしさを感じる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1025
☆☆☆☆☆
意味や価値やすばらしさを感じる
☆☆☆☆☆
今やっていることの意味や価値やすばらしさを感じる。
会社や自分達がめざすものや、やっていることの意味や価値やすばらしさを情熱を持って語ることができるか。

教育する側が心得ていなければいけない10か条
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1024
☆☆☆☆☆☆☆
教育する側が心得ていなければいけない10か条
☆☆☆☆☆☆☆
1.大人は常に子供たちに人生の夢を語り続けなければいけない
2.教が育を越えてはならない。育てるために教えるのである。教えすぎたら個性をつぶす。
育てるとは、欲求や潜在能力や天分を引き出すこと。3.肉体が成長している間は、まだ大人ではない。30歳までは子供と考える。30歳までの子供の言動の責任は親にある。
4.人間への深い理解をもつ。
 イ.「理屈じゃない、心が欲しい」とは、愛されたい、わかってもらいたい、認めてもらいたい、ということである。
 ロ.人間は誰でも長所と短所が半分ずつある。短所がなければ人間ではない。
5.その子から学ばなければ、その子の親にはなれない。愛するとは、相手から学び、相手を知ること。
6.自分がその年頃のとき、どうだったかを思い出しながら、その利の子供に接する。
7.子供は、常に激しく感じている。親の何気ないひと言や目つき・表情・態度が、子供の心に深い傷を与える。
8.親は子供に間違ったことをしたと思ったら、すぐに謝る。「ごめんね、許してね」
9.親として「いかに在るべきか」という理念への問いを持ち続けて生きる。
夫婦はもっとお互いをほめあうことが大切。
10.子供の成長に応じて接し方を変える。
大人・親を経営者・リーダーに置き換え、子供を社員さんに置き換えると…

なぜ数学を勉強しなければいけなの
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1023
☆☆☆☆☆☆☆
なぜ数学を勉強しなければいけなの☆☆☆☆☆☆☆
「数学なんて、一生使うことがないのにどうして勉強しなければいけないのか」
「因数分解なんて勉強しても、生きていくのに意味がない」と言われたら、どう答えるか人生では、複雑な問題がたくさんあります。
数学は直接関係ないけど、難しい問題が出てきたとき,逃げないで乗り越えていく能力を作ります。
なんとか解いてみようといろいろな角度からものを考える訓練をする。苦労して「できた!」ときの喜びを味わうことで、意欲も湧いてくるのです。
もうひとつ大切なこと。
「勉強しなさい」と言わないこと。子供に勉強を教えてはいけない。強制しない。
子供に勉強を教えてもらうこと。
教えたら、教えたことしかしない。他の方法を考えなくなり、すぐに他に頼ろうとする。子供に教えてもらう。
「今日どんなこと習ったの?教えて?」
「お母さんは、小学校のときこんな問題がすごく苦手だったの。どうやって解いたらいいか教えて。」
少し大げさでも、感心しながら、聞く。
うまく教えられたら、「よくわかったわ。ありがとう。明日もどんなこと習ったか教えてね。」
お母さんに教えるために、お母さんの喜ぶ顔が見たいために一所懸命に先生の言うことを聞くようになるのです。
一緒に勉強する。一緒に絵を描く。共通体験・共同体験をたくさんすることも大切です。子供だけにやらせようとしないことが大切なのです。

なぜ学校へ行くのか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1022
☆☆☆☆☆☆☆
なぜ学校へ行くのか
☆☆☆☆☆☆☆
「学校へ行く意味がわからない」と子供が言う。
その時、どう答えるか。
学校では、生きる知恵は、教えてくれない。知識を教えるところ。では、なぜ知識が必要なのか。
今の世の中では、どれだけの知識を持っているかで、人間の自由度が決まるからです。
知識の量が、自由の大きさを広げる。
学校へ行くことで、選択肢の幅が広がるのです。
動物や植物は、体験でしか学べない。人間だけが、体験だけでなく、知識として学ぶことができる。
知識だけ増えても、それを活かすことは、その人の育つ環境や人間関係、気持ちの持ち方で変わる。
知識を知恵に変えるのは、命の底から湧いてくる欲求や欲望、興味・関心・好奇心。
欲求や欲望が湧いてくるのを否定する必要はない。
理性で、欲求や欲望を押さえつけることが続くと自分が見えなくなってくる。
「自分を知る」「自分とつながる」第1歩は、命の底から湧いてくる欲求や欲望を持つこと。
抑えないこと。しかし、欲求や欲望のままに動くのは、野獣。
湧いてきた欲求や欲望を、いかに人に迷惑をかけず、人の役に立つものにするかということに理性を使う。広く深く理性を使うためには、知識の量が必要になってくる。
どうすれば自分のやりたいことを、人に迷惑をかけず,やることができるかを考えるために、知識の量が役立つ。
人の協力を得るためには、人の気持ちがわからないといけない。
学校は、そのための経験・体験の場でもあるのです。

矛盾を生きる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1021
☆☆☆☆☆
矛盾を生きる
☆☆☆☆☆
生きていうということは、変化していると言うこと。変化がなくなったら、死んでいる。平衡を保つとは、やじろべえのように、左右にゆれながら、ゆらいでいる状態。
静止している状態はありえない。
大きく落ち込んだ時は、大きく変わるための準備。
反対意見は、あって当然。
どんないいことをしても、半分は損をする人がいる。反対意見のいいところを探し、取り入れる方法はないかを考える。
損をする人に対して、どう対応するかを考え、配慮する。
完璧な答や、方法はありません。
どんなにいい改革であっても、半分の人は不利益になることがあり、反対意見もある。
次のステップへ行くためには、用意周到な準備も必要。
大切なことは、「先ずはやってみる」。
考えていても問題は、解決しない。動けば、更なる問題がでてくる。
出てきた問題をひとつひとつ乗り越えていく。
理性は、固定化を求め、真理を追究し、矛盾をなくそうとする。
固定化ではなく、変化を求める。
真理ではなく、真実を求める。
矛盾を排除するのではなく、矛盾を内包する。
矛盾を内包した真実の世界を生きる。
普遍的なものを求めていくと、硬直化してしまう。
揺らぎながら、その時の最適なものを求めていく。
ぶれてもいい。ぶれない人はいない。
最終的な夢や目標をしっかり持つ。考え方や方法は、時代や環境、状況に合わせて変わっていく。
理念も残すべき創業の精神は残し、時代に合わせて変化すべきものは変化させる。
感性論哲学の真髄は、「矛盾を生きる」こと。
揺らいで候。

天分発見のツボ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1020
☆☆☆☆☆☆☆
天分発見のツボ
☆☆☆☆☆☆☆
天分を見つける5つの問い
1.やってみて、好きになれるかどうか?
2.やってみて、興味関心が持てるかどうか?
3.やってみて、得手・得意と思えるかどうか?
4.やってみて、他人よりうまくできるかどうか?
5.真剣にやってみたら、問題意識がわいてくるかかどうか?
5つに今日共通することは、「やってみること」実践することです。
天分のツボに、はまった人生ほど面白いものはありません。
5つすべて当てはまる必要はありません。
当てはまるのが多いほど、ツボはまっているということです

自分が納得できる生き方をするためには
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1019
☆☆☆☆☆☆☆
自分が納得できる生き方をするためには
☆☆☆☆☆☆☆
理性を手段能力として使って、感性を成長させること。
人間性の成長とは、理性が成長することではなく、
感性である感じ方、本音、実感が成長することです。理性ではなく、本音を鍛え、実感を磨くことが、
納得できる生きかたをするために大切なことです。
感性がよくて、理性が悪いのではありません。
感性から湧いてきたものを理性を使っていかに人の役に立ちながら現実にしていくかが大切なのです。
感性と理性は、バランスではなく、協力関係でなければいけないのです。
本音と実感はどのように成長させるのか。
ワクワクすることは何か、どきどきすることは何か、やってみて楽しいことは何かを考えるのではなく、自分に問いかけ続ける。
今やっていることの意味や価値やすばらしさを感じることです。

自分の価値は、他人が決定する
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1018
☆☆☆☆☆☆☆
自分の価値は、他人が決定する
☆☆☆☆☆☆☆
自分が努力して能力を身につけ、「私はこんなすばらしい小説が書ける」と主張しても、それを買って読んでくれる人がいないと小説家には、なれません。
どんなすばらしい能力でも、他人がそれを認めてくれなければ、
その人は現実において無価値な人間となるのです。
「人の己を知らざるを患(うれ)えず。その能くすることなきを患う。」孔子
認められないと言って嘆くな、人に認められるほどの能力がまだ自分にできていないことを心配しなさい、という教えです。人が認めざるを得ないところまで自分を磨きなさい、ということです。価値は、他人が決定する、ということを忘れてはいけません。

この命、何のために使うか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1017
☆☆☆☆☆☆☆
この命、何のために使うか
☆☆☆☆☆☆☆
使命とは、この命何のために使うか。
使命とは、この命の使いどころ。
使命は、苦難と共にやってくる。
問題・苦しみ・悩み・苦難は、潜在能力を引き出すためにでてくる。
自分の使命がどこにあるかを教えてくれる。
追いつめられた状況になっても、それでもなお必死に取り組んだとき、はじめて潜在能力が目をさます。
使命とは、理性では考えることができないもの。
理屈を超えたものである。
人から教えられるものではない、命の底から湧いてくるもの。
「このためになら死んでもいい」
と思えるものを見つけること。
「このためになら死んでもいい」という仕事や
「この人のためになら命も惜しくない」という人
との出会いが、命を燃えさせる。
「このためになら死んでもいい」という想いで、どういう生き方をするか、
何をするかということを自ら考えていくところに人間的な生き方の基本がある。
理性で考えた夢・目的・目標は、決して人間の命に真の喜びは与えない。
理性で作った目的を実現しようとした瞬間から、その目的や結果に囚われてしまう。
自分の使命は、これだと思っても、問題が出てくると「これでいいのか」と不安になることもある。
「このためになら・・・」と燃えるものがあれば、どんな問題も乗り越えていける。
燃えてこそ人生。感じてこそ人生。

この命、何のために使うか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1016
☆☆☆☆☆☆☆
自分の哲学を持つ☆☆☆☆☆☆☆
感性論哲学は、実践の哲学です。
学ぶだけでは、意味がありません。哲学というと難しい、生活に必要ない、知らなくても何の影響もない、経営に関係ないと思われるかもしれません。
哲学は、「もっと幸せになりたい」という命から湧いてくる欲求、幸福欲を実現するためのものです。
哲学は、生活の中で一人ひとりの命を生かす学問です。
誰もが持っていなければならないものです。
理性を使って、未来を考える。将来は、どうなるかではない。
「将来、こうなりたい」
すべての革命や変革は、たったひとりから始まります。
赤字企業が高収益企業に変わるのも、トップの哲学からです。
国もたった一人の政治家から変わるのです。
哲学は、破壊の学問です。
実践に活かすための学問です。
現状を変革するには、今あるものを壊さなければいけません。
どんな素晴しいものでも、時代と共に価値観が変わったり、
人々の欲求が変わってくると、変化させなければなりません。
常識で考えるのではなく、常識を考え、よりよい方向へと変えていくための学問です。
自分の芯を作る。芯をしっかり作っていないと、つぎはぎだらけで自分が無くなってしまいます。
それが○○流哲学、○○哲学です。○○には、自分の名前を入れる
芯とは、命から湧いてきた夢や理想を実現するために「これだけは譲れない」というものです。
いろいろな考え方や価値観を学び、今の自分に必要なところだけを取り入れて、
自分の哲学を成長させ、実践していくことに意味があるのです。

一灯照宇の志
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1015
☆☆☆☆☆
一灯照宇の志
☆☆☆☆☆
一灯照隅という言葉がある。
たとえ一本のロウソクでも身の周りを照らせば明るくなる、
全ての始まりは常に小さなところから始まります。
ひとつの灯火が片隅を照らす。
一灯照隅ということも大切です。
そこからさらに・・・
その灯火が次の灯火を点け、また次の灯火を点ける。そして多くの灯火が全国を照らし、ひいては地球を照らす。
さらには宇宙を照らすというくらい大きな志を持って行動する。
大きな夢や目標を持ち、行動は小さなことから始める。
賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つことを何十年と継続していけば
必ずものになる。芳村思風先生がよく本にサインされる言葉です。

時流独創の精神
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1014
☆☆☆☆☆☆☆
時流独創の精神
☆☆☆☆☆☆☆
天分のツボにはまり、時流に乗って、自分らしさをつくるために
時流独創の精神6つの問い
1.自分の心を本当に納得させるものを理屈ぬきに追い求めているか?
2.固定観念・先入観念から自分を解放しているか?
3.自分の使命は何であるかを知っているか?知ろうとしているか?
4.命から湧きあがる欲求・欲望・興味・関心・好奇心を持っているか?5.現実への異和感を大切にしているか?
6.有機的統合能力を磨いているか?

永遠の命と限りある命
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1013
☆☆☆☆☆☆☆
永遠の命と限りある命
☆☆☆☆☆☆☆
我々の個体的生命は、せいぜい早く年くらいです。
しかし我々のこの個体的生命の中には、地球上に生命が誕生して以来、ずっと生き続けてきた命があります。
我々の本体である命の年齢は38億歳なのです。
これを永遠の命といいます。
そして我々は生命の流れの中の約百年を生きる個体的生命です。
すべての命は常にこの永遠の生命と個体的生命の連関性を自分の命の中に宿して、現実の命として生きています。
我々は永遠の生命の流れの中の百年という人生を、
どう永遠の生命と関わって生きていけばよいのかと考えなければなりません。
我々は自分の中にある永遠の生命への思いを持って現実を生きる必要があるのである。
永遠の生命は、ただ生き長らえているだけではなく、進化するという歴史を形成しています。
命が進化するのは、各時代を受け持った命たちがその時代のすべての問題を乗り越えて必死で生き抜いてきたからである。
個体的生命は、この為になら死んでもよいと思われるものを持ったときに、最も美しく輝き燃え上がり生かされる。
個体的生命である我々は常に
「何に命をかけるか、
この命何の為に使って生きて死のうか」
と思うこと、これが限りある命の活かし方である。

本物の人間になるために
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1012
☆☆☆☆☆☆☆
本物の人間になるために
☆☆☆☆☆☆☆
本物の人間になるため、常に自分自身に問いかけなければいけないことがあります。
1.人間で在(あ)るとは、どう在ることか。
2.人間に成るとは、どう成ることか。
人間は、生まれたときは、動物学上の分類における人類にすぎません。生まれた後に努力して、人間としての格を獲得して人間になるのです。人間を「経営者」「教師」「政治家」「父親・母親」・・・と自分の立場に置き換えて考える。
正解はない。時代によっても変わる。
「私はこう思う」という答を持たなければ、損得だけで動いてしまう。大切なことは、答を持ちながらも、問い続けること。固定してしまうと、自分と違う考え方の人と、対立が生じる。争うことになる。
常に問い続けること。

感動とは
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1011
☆☆☆☆☆☆☆
感動とは
☆☆☆☆☆☆☆
人は、感じたら動く。
「感即動」とは、「感じたら、すぐに動く」という意味だけではない
「感じさせると、人は動く」。
感じさせなければ、人は動かない。理性で説得しても、人は動かない。これからのリーダーに大切なことは、人を感動させる力。
「理動」という言葉はない。
理屈では人は動かない。
説得しても人は動かない。
組織も感動で動く。
顧客も感動すれば動く。
顧客を動かそうと思ったら、感動を届ける。
感動させる。
商品の品質で感動させる。
サービスで感動させる。
お客さまが、予想している以上のことをする。
お金をかけたり、凝った演出でなくてもいい。
細やかな心使い、徹底したサービスを続けることなどちょっとした違いや変化を作り続ける。
感動させる力を持ち、感動させうる人間となる。
感動をローマ字にすれば、
Can do!
 かん どー

求める愛、与える愛
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1010
☆☆☆☆☆☆☆
求める愛、与える愛
☆☆☆☆☆☆☆
子供は、「お父さんやお母さんは、自分のことをわかってくれない」と思っています。
どんなにお父さんやお母さんが子供のことを愛しても、子供が求めている愛され方とは完全に一致することはありません。
お父さんやお母さんが、「私は、自分の子供のことをよくわかっている」と思っていても、子供からすると「お父さんやお母さんはわかってくれていない」と思っています。
「親の与える愛」と「子供の求める愛」は、違うからです。
自分が思うように他人は愛してくれません。
親子でも同じです。恋人同士や夫婦の間においても同じです。
どんなに分かり合えている夫婦であっていても、男性の思う愛と女性が求める愛は違います。
同じように、女性が思う愛と男性が求める愛は違います。
「自分が思っているようには」認めてくれないし、わかってくれないし、愛してくれません。
「これだけ愛しているのに・・・」と思うのは、押し付けの愛です。

生きることは変化し続けること
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1009
☆☆☆☆☆
生きることは変化し続けること
☆☆☆☆☆
ゆらぎながら、ぶれない。
命あるものは、変化しています。
命あるものは、感性の働きにより、調和を模索し調和を求め続け、合理的なあり方を模索し、合理的なものを求め続け、統一を模索し統一を求め続けている。
命あるものは、静止していません。固定されてはいません。
人間は不完全です。
完全をめざしても、永遠に完全なものになることはありません。
完璧・完全になる必要はありません。
不完全であることを自覚し、より完全に、より完成に近づく努力をし続けなければならないのです。
命を生み出した宇宙もまたプラスとマイナスのエネルギーがバランスを模索し続けながら動き続けています。
宇宙には、定まった原理はありません。
宇宙は、法則に従って動いているのではなく、法則を作り出しながら生きています。
宇宙そのものも、ゆらいでいます。物質の究極の姿は、ゆらぎなのです。
一気に大きな変化を作り出す必要はありません。
小さなことから変化させる。
小さな変化の積み重ねが、気がついたとき大きな差となっている。
「ほんのちょっと」でいいのです。変化しないということは、成長しないということです。
組織や人材が固定化してきたとき、衰退が始まるのです。
会社における理念も固定化させる必要はありません。会社の規模、事業内容、時代の流れに合わせて、変化させなければいけません。
組織もいったん出来上がってしまうと、組織を存続させることが優先になってきます。
組織を守るためにと、不正や改ざんなども、出てくるのです。
企業は、お客さまがいなくなれば、存続できません。わかっていても、組織や指導者を守るために顧客ではなく、経営者や上司の方に関心が向いてしまいます。経営者は、社員のために仕事をする。
経営者は、お客さまのために仕事をするのではありません。
社員が、お客様のために仕事をするのです。
顧客の要求は、変化し続けています。
その要求に応えられないと、会社は存続しません。
顧客の要求に応えるためには、会社という組織もこれに合わせて、変化し続けなければなりません。
顧客の要求の変化をキャッチできる社員を育てること。
社員は、顧客満足をめざすのではなく、顧客感動をめざすこと。
顧客の期待している以上のことをしたとき、感動が生まれます。
経営者は、変化に対応できる組織作りが仕事であり、変化を作り出すことが仕事です。
経営者は、社員と一緒の仕事をしてはいけません。
「利益の出る仕組みを作り続けること」。
そして、「よりよい方向性への変化をつくり続けること」です。

結婚は、恋の終わりで、愛の始まり
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1006
☆☆☆☆☆☆☆
結婚は、恋の終わりで、愛の始まり☆☆☆☆☆☆☆
「恋愛」という言葉から、恋と愛は同じ次元と考えられてきました。
愛と恋は、次元の違うものです。比べるものでもありません。
「愛」とは努力すること。
結婚して、長く一緒にいると「結婚する前と、この人は全然ちがう」
「変わった」「こんなはずじゃなかった」という場面が何度も出てくるようになる。
結婚するまでは、見えなかったこともある。
こんな人だと勝手に考えていたこともある。
そのギャップに気づいただけのこと。
相手も変わっているかもしれないが、自分も変わっている。
「恋」は、離れているから生じるもの。
離れているから、近づきたい、一緒にいたいという気持ちが湧いてくる。
「恋」している時には、アバタがエクボに見える。
結婚すると、アバタはアバタとして見えてくる。長く一緒にいると長所が見えなくなって、短所や欠点がクローズアップされてしまう。
自分の欠点や短所は見えづらい。自分にも短所欠点があると自覚しなければ、
他人の欠点短所が許せない。
人間は皆不完全です。
だから「愛」とは許すことからはじまる。
恋の病は、結婚すれば完治する。
多くの人は結婚して数年、いや数ヶ月ですでに“選ぶ相手を間違えた”と後悔する。
生活を共にし始めたらすぐ正気に戻るから。
アバタはもうエクボには見えなくなる。
結婚したら孤独でなくなる、淋しさが癒される、幸せになれるなんて、勘違いだと気づく。
夫婦関係はまさに人生最大の“行”。これほど人を成長させる人間修行はない。
愛を感情や情熱だと思っているために、夫婦や恋人たちは長く一緒にいると、
愛が冷めた、もう愛がないから別れましょうという話になってくる。
価値観、性格が合わないという理由で簡単に別れる。独占欲や所有欲、執着や嫉妬は、愛ではない。
人間は不完全だから誰かを愛したら嫉妬も感じる。
嫉妬によって関係性を破壊してしまうような行為に出るのは真実の愛から出たものではない。
自分では愛だと思っている自己中心的な感情であり欲望であり執着。
相手が自分の欲求や要求を満たしてくれなかったら消えてしまうような愛は、
とても幼い、未熟な愛です。
恋は、正しい理性が働かなるために修羅場を作るが、愛は正しい理性と一緒になることで育くまれていくものです。
真実の愛には、待つ時間、耐える時間、許す力、信じる力、愛し抜く力、責任といった意志の力や判断力・決断力、忍耐力、努力が不可欠なのです。
恋は自然、愛は芸術。
愛は文化なのです。

最高の出逢いとは
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1005
☆☆☆☆☆☆☆☆最高の出逢いとは、自分を最も輝かせてくれる人との出逢い。
☆☆☆☆☆☆☆☆人生は、出会いによって作られる。人との出会い。物との出会い。出来事との出会い。
いろいろな出会いにより、道が決まっていく。
学生の頃、ある教科の先生にあこがれて、その教科が好きになり、
いつの間にか先生になりたいと思った人。
天体望遠鏡を買ってもらったことで、毎日、
星を眺めているうちに天文学の道を歩み出した人。
事故や病気という出来事との出会いで、医者になった人。
心の底から興味・関心・好奇心が湧いてきて、気がついたらその道を歩んでいた。
最初は興味も関心もなかったけど、縁あってある会社に入社したことにより、
一所懸命仕事に取り組んでいくうち、興味・関心が湧いてきて、
知らず知らずにその道の専門家になることもある。
縁は、自分から求めて作れるものではありません。
人智を超えた「計らい」によって与えられるものなのです。
自分の思うような仕事につけなかったとき、
第一志望とは別の学校や会社に入ったとき
入ることができた学校や会社が、今の自分にとっていい学校や会社になるかどうかは、
その学校や会社での友人や人との出会いを大切にし
目の前にあることに必死で取り組むことができるかどうかで決まります。
2代目、3代目と家業を継ぐ立場に生まれたのも、宇宙の計らいです。
自分が好きなことができないのではなく、
その家業である仕事の意味や価値やすばらしさを見つけ、
自社だけでなく、業界全体をさらに発展成長させたり、伝統を活かして新しい分野に展開させるところに
2代目・3代目に生まれてきた使命がある。
今、自分の目の前にある問題から逃げずに努力を続けることが、縁を呼び寄せます。
自分のしたいことがわからない時は、
今与えられている仕事に全力を尽くすこと。
今、縁のあることを必死にやってみること。縁のある人を大切にすること。
今やっていることの意味や価値やすばらしさを感じてみること。
そこから、新しい道が見えてくることがある。
考えているだけでは、答はでません。
いくら考えても、問題や悩みは解決しない。とにかくやってみる。
どちらか迷ったら、直感で決めて、やってみる。
やってみたら、また問題が出てくる。
問題が出てきたら、必死でやってみる。
必死でやっていると、また別の新しい問題が出てくる。
人間は不完全だから問題や悩みは、なくなることはない。
必死で出てくる問題を乗り越える努力をしていると、新しい出会いもまた生まれてくるものです。

偏見は誰にでもある
芳村思風先生の
一語一会 
vol.1003
☆☆☆☆☆☆
偏見は誰にでもある
☆☆☆☆☆
自分にも偏見があることを自覚している人は少ない。理性的に合理的に判断して、正しい判断をしていると思っている人は、自分に偏見がないと思っている。
実はその人はすべてを合理的なものへと歪めてしまうかたよったものの見方をしている。人間には本当の実体や全体はわかりません。
科学は一部分の領域しか見ていません。
実体は、全分野、全領域がからみあった有機性なのだから、化学ではほんとうのことはわかりません。
だから学問も偏見です。
人間が偏見を超えるためには、決して偏見を無くそうとはせずに、自分には偏見があるという現実と事実を自覚し、
認めることから出発しなければいけません。

愛とはなにか
芳村思風先生の
一語一絵
vol.1002
感性論哲学の目的は、「世界平和」と「全人類の人間性の進化」
感性論哲学以外に、「愛」を能力としてとらえ、学問として、愛を実力として成長させることを説いているものはありません。
☆☆☆☆☆
愛とはなにか
☆☆☆☆☆
古来より「愛」は、文学の中でしか語られてこなかった。
愛を学問の対象とされてこなかった。
愛を能力として捉え、実力として成長させることがこれからの時代の課題です。
感性論哲学は、愛の哲学です。
愛するもののために生きる。
万物の父となり、万物の母となる。父性愛と母性愛、これが愛の究極の姿です。
愛とは感じるもの。
愛とは信じること。
愛するとは許すこと。相手の短所を許し、長所を見つけてほめて伸ばす。
愛とは肯定すること。理屈を超えた肯定の心
愛とは認めること。
愛は努力して作るもの
愛とは相手の成長を願う心情。
愛とは新しい精神文明の核となるもの。
愛は理屈を超える力。
愛とは人間と人間を結びつける力。愛は人間と他のものを結びつける力。愛はすべてを結びつける原理
愛は人間関係の力。
愛とは他者と共に生きる力。
愛とは他者中心的な心の働き、思いやりである。
愛は理性を使った努力。
愛とは「どうしたらいいのだろう?」と悩む心、考える心。
相手のために努力できるということが「愛」があるということ。
人間を愛するというのは不完全な存在を愛するということ。
自分と同じ考え方の人しか愛せないのは、偽者の愛、自分しか愛せない愛である。
愛とは、命を生む能力、育む能力、満たす能力。
愛するとは、相手から学ぶこと。
包容力は、愛。
愛とは、今一番人類に必要とされている能力。
結婚は恋の墓場であり、愛の始まりである。
恋は自然、愛は芸術

トップページサービス内容会社案内個人情報保護方針お問い合せ サイトマップ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。