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成功のコツは、ふたつ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.911
☆☆☆☆☆☆☆
成功のコツは、ふたつ
☆☆☆☆☆☆☆
成功のコツは、ふたつしかありません。
コツ、コツです。
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21世紀 日本の使命
芳村思風先生の
一語一会 
vol.910
☆☆☆☆☆☆☆
21世紀 日本の使命
☆☆☆☆☆☆☆
(芳村思風著 致知出版社刊)の「はじめに」
時代が人を作り、問題が人物を作る。
その時代が作り出した問題が、その問題を解決する潜在能力を持った人物を呼び出すのである。
人物はいつの時代にもいる。
問題は感性が感じるものであるから、感性が豊かな熱情のある人間しか大人物にはなれない。
しかし、感性だけでは問題は解決されない。
理性は問題を解決するための手段能力であるから、理性を磨かなければ問題は乗り越えられない。
時代が求める大人物には豊かな感性と智恵が必要である。
また、問題を解決するためには考え続けなければならないから、そのためには強靱な意志の力が必要となる。
意志の弱い人間は、物事を途中で放棄する。
意志の強い人間とは、理性的な人間ではない。
理性によって作為的に作られたような意志の強さには限界がある。
理性的な意志の強さとは、何かしたいことを我慢して、しなければならないことをする力である。
我慢しなければならないものがあるだけ限定された半端な意志である。人間が何事かを成し遂げるために必要なのは不撓不屈の意志である。
どんな困難でも乗り越えて行くというような意志の強さは、
理屈抜きのところにその根拠をもっていなければならない。
だから不撓不屈の意志を支えるものは、欲求の強さ、欲望の強さであり、
興味や関心や好奇心の強さである。理屈抜きに命から抑え難きものとして湧き上がってくるようなものがなければ、問題を解決するまでの努力を持続することは難しい。
何事かを成し遂げた人間、成功者は例外なく、人並みはずれた強い欲求・欲望・興味・関心・好奇心の持ち主である。
この豊かな感性から湧き上がる熱情が理性の活動を支え、理性能力の発達成長を促すのである。
「こうしたい」という欲求が「こうしよう」という意志になり、意志が社会性を持って多くの人の役に立つ方法で実践される時、意志は「志」に成長する。
そして志がそのためになら死んでもいいと思えるものになったとき、「使命」と呼ばれるのである。
日本はこれから人類のために大きな使命を担っていかなければならない。世界は今、
西洋の時代から東洋の時代へと移行する数千年に一回の激動と混乱の中にある。
それと同時に、世界史は理性の時代ある近代の終焉を迎えており、
近代から次の新しい時代への輝かしい第3の過渡期に突入しつつある。このような状況の下で、世界文明の中心が、いま日本の真上にきているのである。
ということは、日本人が中心となって、これから西洋の時代から東洋の時代への世界史的な移行を実現させ、さらに第3の過渡期にを担って
新しい時代を呼び起こす大事業を実現しなければならないということである。
日本人は第2のルネッサンス人となって人類と世界のために貢献することを世界から期待されているのである。
この使命を日本人に自覚させ、この使命を日本人に担わせようとして、その使命を担い得る人物を呼び出さんがために、
いま日本に政治的経済的教育的大混乱という問題が神仏から与えられ、歴史によって課せられているのである。
我々はこの事実を自らも自覚して生きるとともに、
この使命を担い得る子供たちを育てる夢に生きねばならない。
1999年9月
芳村思風

人間であることを誇りとして生きる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.909
☆☆☆☆☆☆☆
人間であることを誇りとして生きる☆☆☆☆☆☆☆
境涯論(3)
人間は長い間、人間でありながら他のものにあこがれてきました。
古代においては超越的な強大な力にあこがれ、中世においては神仏にあこがれ、
近代においては理性にあこがれて理性的になろうとしてきましたが、
今日にいたって、ようやく人間でありながら他のものにあこがれることの間違いに気づいて、
これからは人間であることに感謝し、母なる宇宙のよって人間に生んでいただいたことを喜びを持って素直に受け入れ、人間であることを誇りとして生きることこそ、
母なる宇宙の期待に応える正しい人間としての道であるという自覚に到達したのであると思います。
詳しくは、「人間の境涯」(致知出版社)平成23年2月発行をお読みください。

人間を生きるとは、不完全であることを肯定し、不完全を生き抜くこと
芳村思風先生の
一語一会 
vol.908
☆☆☆☆☆☆☆
人間を生きるとは、不完全であることを肯定し、不完全を生き抜くこと☆☆☆☆☆☆☆
境涯論(2)
感性論哲学は、母なる宇宙の愛の摂理によって命が与えられた人間として、
人間であることを大切にし、人間であることに感謝して、人間を生き抜く哲学です。
人間を生きるとは、不完全であることを肯定し、不完全を生き抜くことです。
常に不完全でなる存在としての自覚を基礎に、実践を通して、いかなる気づきが生まれ、どこまで成長が達成されるかが、感性論哲学の境涯論なのです。
この不完全を生きるしかない人間が、人間の格を追及し、人間としての成長を遂げていく道筋を7つの段階を持つものとして学問的に体系化したものが感性論哲学の境涯論です。(続く)
「人間の境涯」(致知出版社)より

自分まわりの人を幸せにする力を持って本当の幸せを実感できる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.907
☆☆☆☆☆☆☆
自分まわりの人を幸せにする力を持って本当の幸せを実感できる
☆☆☆☆☆☆☆
境涯論(1)
境涯とは、その人の全人格的な成長の水準を意味する。
人間は、自分だけが幸せになるのではなく、まわりの人をも幸せにする力を持って、
初めて本当の幸せを実感できます。人間は、一人では生きられない社会的存在である。
そのためには自分をも他人をも幸せにする力を養って、初めて人間の境涯は成長する。
この力が、人間力です。
境涯論は、西洋には存在しません。西洋においては人間性や性格や個性は神によって与えられ固定されていて、努力して成長させるものではないと考えられています。
人格を磨いて人間性を成長させる体系としての境涯論は出てくる余地がないのです。
英語には、人格という言葉はありません。
東洋においても体系的な境涯論は仏教における「十界論」しかありません。
しかし仏教における境涯論は人間が人間界を超え出て仏の境地をめざすという宗教的な意図があります。
感性論哲学におけるは、人間でありながら神仏の境地に憧れ、神仏を目的にする哲学ではありません。
肉体や感情を持つ人間でありながら、神仏の完全性を目的にすることは「人でなし」をめざすことになるからです。
(続く)
「人間の境涯」(致知出版社)より

感性とはなにか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.906
☆☆☆☆☆☆☆
感性とはなにか
☆☆☆☆☆☆☆
感性の本質は、求感性(ぐかんせい)。
今までは、感性=感受性とされてきました。
感受性は、消極的・受動的能力です。
求感性とは、自分が生きていくために必要な情報を自ら積極的に求めて感じ取ろうとする働きです。
感受性を高めるには、求感性を高めることが大切です。
求める気持ちが強いほど、感受性が強くなるのです。求めるから、感受できるのです。

理屈を越える
芳村思風先生の
一語一会 
vol.905
今日は、カレンダーにない言葉です。
☆☆☆☆☆☆☆
理屈を越える
☆☆☆☆☆☆☆
感性の本質は、求感性(求感性)。今までは、感性=感受性とされてきました。
感受性は、消極的・受動的能力です。
求感性とは、自分が生きていくために必要な情報を自ら積極的に求めて感じ取ろうとする働き。
感受性を高めるには、求感性を高めることが大切です。
求める気持ちが強いほど、感受性が強くなるのです。求めるから、感受できるのです。
また、感性から湧いてきたものをいかに形にしていくか
人の役に立つものとしていくかを
考えるのが理性です。
理性だけで、やりたいことや夢や理想を考え、
その実現方法を考えると、問題が出てきたら、すぐにあきらめてしまいます。
理性で考えたものなので、理屈を越えた力は、でてきません。
感性から湧いてきたものは、「難しいかもしれないけど、なんとしても実現したい」という気持ちがあるので、
理屈を越えた力がでてくるのです。感性と理性は、バランスではなく、感性と理性の協力関係をつくることが大切なのです。

どうすれば謙虚さがにじみでるか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.904
☆☆☆☆☆☆☆
どうすれば謙虚さがにじみでるか
☆☆☆☆☆☆☆
では、どうすれば謙虚さが、にじみでてくるか。
謙虚であるとは、傲慢でないということ。
偏見・我・短所をなくそうとすると傲慢になります。人間には、誰でも長所が半分と短所が半分あります。短所があることを自覚する。偏見があることを自覚する。
自覚することで、他人の意見も聞こうという謙虚な気持ちが出てきます。
人間は、不完全だから罪を犯すことなしには、生きていけません。
罪の意識を自覚が、人間を謙虚にし、傲慢さをなくすのです。
どんなにいい政策でも、半分の人には、不利益になることもあるのです。
人間らしい心は、他の命を奪うことなしには、生きていけません。
すべての生物は、他の生物の命を奪って生きています。
人間だけがそのことを自覚できるのです。
すべてのものに感謝する。それが人間らしい心をつくるのです。

にじみ出る謙虚さとは
芳村思風先生の
一語一会 
vol.903
☆☆☆☆☆☆☆
にじみ出る謙虚さとは
☆☆☆☆☆☆☆
本物の人間になるための第一条件
1.不完全性の自覚からにじみでる謙虚さを持っているか?
「にじみ出る謙虚さ」とは、なにか。
謙虚とは、控えめで素直なこと。謙虚だけでは、卑屈になる。
謙虚であるためには、自信と強さと実力が必要。
本当に強い人、実力のある人しか、素直に本音から謙虚になれません。弱い人間の謙虚さは、こび、へつらいになります。
謙虚にしなければならない、と思うような観念ではなく、命から謙虚さがにじみでてくる状態にならなければいけません。
不完全性の自覚だけでは観念的です。
大切なのは、この自覚から謙虚さが、にじみでてくることです。
これが本物かそうでないかの区別になります。

本物の人間になるために
芳村思風先生の
一語一会 
vol.902
☆☆☆☆☆☆☆
本物の人間になるために
☆☆☆☆☆☆☆
本物の人間になるため、常に自分自身に問いかけなければいけないことがあります。
1.人間で在(あ)るとは、どう在ることか。
2.人間に成るとは、どう成ることか。
人間は、生まれたときは、動物学上の分類における人類にすぎません。生まれた後に努力して、人間としての格を獲得して人間になるのです。人間を「経営者」「教師」「政治家」「父親・母親」・・・と自分の立場に置き換えて考える。
正解はない。時代によっても変わる。
「私はこう思う」という答を持たなければ、損得だけで動いてしまう。大切なことは、答を持ちながらも、問い続けること。固定してしまうと、自分と違う考え方の人と、対立が生じる。争うことになる。
常に問い続けること。

最高の出逢いとは
芳村思風先生の
一語一会 
vol.899
☆☆☆☆☆☆☆☆最高の出逢いとは、自分を最も輝かせてくれる人との出逢い。
☆☆☆☆☆☆☆☆人生は、出会いによって作られる。人との出会い。物との出会い。出来事との出会い。
いろいろな出会いにより、道が決まっていく。
学生の頃、ある教科の先生にあこがれて、その教科が好きになり、
いつの間にか先生になりたいと思った人。
天体望遠鏡を買ってもらったことで、毎日、
星を眺めているうちに天文学の道を歩み出した人。
事故や病気という出来事との出会いで、医者になった人。
心の底から興味・関心・好奇心が湧いてきて、気がついたらその道を歩んでいた。
最初は興味も関心もなかったけど、縁あってある会社に入社したことにより、
一所懸命仕事に取り組んでいくうち、興味・関心が湧いてきて、
知らず知らずにその道の専門家になることもある。
縁は、自分から求めて作れるものではありません。
人智を超えた「計らい」によって与えられるものなのです。
二代目、三代目と家業を継ぐ立場に生まれたのも、宇宙の計らいです。自分が好きなことができないのではなく、
その家業である仕事の意味や価値やすばらしさを見つけ、
さらに発展成長させたり、伝統を活かして新しい分野に展開させるところに使命があると考える。
今、自分の目の前にある問題から逃げずに努力を続けることが、縁を呼び寄せます。
自分のしたいことがわからない時は、今与えられている仕事に全力を尽くすこと。
今、縁のあることを必死にやってみること。縁のある人を大切にすること。
今やっていることの意味や価値やすばらしさを感じてみること。
そこから、新しい道が見えてくることがある。
考えているだけでは、答はでません。
いくら考えても、問題や悩みは解決しない。とにかくやってみる。
どちらか迷ったら、直感で決めて、やってみる。
やってみたら、また問題が出てくる。
問題が出てきたら、必死でやってみる。
必死でやっていると、また別の新しい問題が出てくる。
人間は不完全だから問題や悩みは、なくなることはない。
必死で出てくる問題を乗り越える努力をしていると、新しい出会いもまた生まれてくるものです。

本物の人間になるための3つの問い
芳村思風先生の
一語一会 
vol.901
☆☆☆☆☆☆☆
本物の人間になるための3つの問い
☆☆☆☆☆☆☆
本物の人間の条件であるつぎの3つは、人間として忘れてはならない。これを目的にして努力することによって、
人間は、本物の人間としての格を持つことができる。本物の人間になるための3つの問い
1.不完全性の自覚からにじみでる謙虚さを持っているか?
2.より以上をめざして生きているか?成長意欲を持っているか。
3.人の役に立つ人間になっているか?
不完全であることを自覚できるのは、人間だけです。では、不完全性の自覚からにじみでる謙虚さを作るための3つの原理とは何か
1.人間は皆不完全。長所半分・短所半分ということを知ること。
2.理性も不完全な能力。謙虚な理性を持つことが大切。
3.食材の元となった命に対して感謝の心を持つ。
気をつけなければいけないこと
これだけは人には負けないというものをひとつ持つ。謙虚なだけでは、卑屈になってしまう。
短所があることを自覚することで、人間は謙虚になれる。
そして、長所を徹底的に伸ばすこと

円熟ではなく、角熟をめざす
芳村思風先生の
一語一会 
vol.900
☆☆☆☆☆☆☆☆円熟ではなく、角熟をめざす
☆☆☆☆☆☆☆☆今までは、円熟という欠けたものがないものを理想としてきた。
人間には短所があり、個性があり、失敗しながら、罪を犯しながら成長していきます。まん丸にはならないのです。
角張ったまま成長していくのです。これが「角熟」という生き方です。人間は、不完全だから、どんな人間にも長所が半分、短所が半分あります。短所を気にしてはいけません。短所をなくす必要はありません。
長所が伸びれば短所は人間味、味に変わるのです。
短所が味に変わるまで長所を伸ばすこと。
円熟ではなく、角熟こそ最も個性ある生き方です。
個性のある本物は、角張ったまま熟していくのです。角張ったまま熟していくところに、個性ある本物の人間の姿があります。
現実を肯定し、現実を活かしきる感性を原理にして、欠点があり、短所があり、
角張ったまま熟していく生き方を人間の理想にしていくこと。
個性ある人間の理想は、角熟です。円熟にならなくていい、角張ったところはそのまま残し、長所を伸ばす。
円熟をめざすな、角熟をめざせ。

不登校能力
芳村思風先生の
一語一会 
vol.898
少し極端な内容かもしれません。
事務局の福島君の解釈も入っていますし、文章では伝わりづらいこともあるかもしれません。チャンスがあれば、ぜひ一度、思風塾で直接先生に聞いていただければ・・・
☆☆☆☆☆☆☆
不登校能力
☆☆☆☆☆☆☆
学校に行かない、不登校というのも能力のひとつです。
命が学校に行かないと決断した。
学校に行かないということを主張できる能力をその子供は持っている。命は、生きようとする。
その命が、学校に行くことを拒否している。
理性で考えると
「学校には、行かなければ行けない」「学校に行かないことは、悪いこと」頭から「学校にいけ」では、反発するし、
学校に行っても命の喜びはない。
その子供が、自分の欲求を主張できることを認めてあげる。
その上で、自分自身に問いかけさせる。
1.将来どんな人間になりたいか?
2.将来どんなことをやりたいか?
3.将来どんな生活をしたいか?
そのために今、何をすればいいのか。
簡単に答は出ないし、答が変わることもある。
1.やってみて、好きなことはなにか?
2.やってみて、興味関心が持てることはなにか?
3.やってみて、得意と思えることはなにか?
4.やってみて、他人よりうまくできることはなにか?(「天分発見の5つの方法」のうちの4つ)
を一緒に話して考えてみるのもひとつの方法です。
「学校へ行く意味がわからない」と子供が言う。
その時、どう答えるか。
学校では、生きる知恵は、教えてくれない。
知識を教えるところ。
なぜ知識が必要なのか。
どれだけの知識を持っているかで、人間の自由度が決まる。
知識の量が、自由の大きさを広げる。
動物や植物は、体験でしか学べない。
人間だけが、体験だけでなく、知識として学ぶことができる。
知識だけ増えても、それを活かすことはその人の育つ環境や人間関係、気持ちの持ち方で変わる。
知識を知恵に変えるのは、命の底から湧いてくる
欲求や欲望、興味・関心・好奇心。欲求や欲望が湧いてくるのを否定する必要はない。
理性で、欲求や欲望を押さえつけることが続くと自分が見えなくなってくる。
「自分を知る」「自分とつながる」第1歩は、命の底から湧いてくる欲求や欲望を持つこと。
欲求や欲望のままに動くのは、野獣。
湧いてきた欲求や欲望を、いかに人に迷惑をかけず、人の役に立つものにするかということに理性を使う。広く深く理性を使うためには、知識の量が必要になってくる。
どうすれば自分のやりたいことを、人に迷惑をかけず,やることができるかを考えるために、知識の量が役立つ。
人の協力を得るためには、人の気持ちがわからないといけない。
学校は、そのための経験・体験の場でもある。
もうひとつ大切なこと。
子供に勉強を教えてはいけない。
親の意見を強制しない。
子供に勉強を教えてもらうこと。
教えたら、教えたことしかしない。他の方法を考えなくなり、すぐに他に頼ろうとする。子供に教えてもらう。
「今日どんなこと習ったの?教えて?」
「お母さんは、小学校のときこんな問題がすごく苦ってだったの。
どうやって解いたらいいか教えて。」少し大げさでも、感心しながら、聞く。
うまく教えられたら、「よくわかったわ。ありがとう。明日もどんなこと習ったか教えてね。」一緒に勉強する。
一緒に絵を描く。共通体験・共同体験をたくさんすることも大切です。

教育力の低下の5つの原因
芳村思風先生の
一語一会 
vol.897
☆☆☆☆☆☆☆
教育力の低下の5つの原因
☆☆☆☆☆☆☆
1.教育のアウトソーシング(保育所や学校まかせにしすぎている)
2.理性が成長すると本能が衰退する。
育児本能、母性本能の衰退、父性の喪失。
3.科学的理性の発達の結果、ものごとを客観的に見てしまって、理屈抜きの一体感(愛)が持てなくなった。
4.子供が求めるものと大人が与えるものの間に大きなズレが生じ、教育の無力化が起こっている。
5.大人が子供の反抗を恐れている。

教育する側が心得ていなければいけない10か条
芳村思風先生の
一語一会 
vol.896
☆☆☆☆☆☆☆
教育する側が心得ていなければいけない10か条
☆☆☆☆☆☆☆
1.大人は常に子供たちに人生の夢を語り続けなければいけない
2.教が育を越えてはならない。育てるために教えるのである。教えすぎたら個性をつぶす。
育てるとは、欲求や潜在能力や天分を引き出すこと。3.肉体が成長している間は、まだ大人ではない。
30歳までは子供と考える。30歳までの子供の言動の責任は親にある。
4.人間への深い理解をもつ。
 イ.「理屈じゃない、心が欲しい」とは、愛されたい、わかってもらいたい、認めてもらいたい、ということである。
 ロ.人間は誰でも長所と短所が半分ずつある。短所がなければ人間ではない。
5.その子から学ばなければ、その子の親にはなれない。愛するとは、相手から学び、相手を知ること。
6.自分がその年頃のとき、どうだったかを思い出しながら、その利の子供に接する。
7.子供は、常に激しく感じている。親の何気ないひと言や目つき・表情・態度が、子供の心に深い傷を与える。
8.親は子供に間違ったことをしたと思ったら、すぐに謝る。「ごめんね、許してね」
9.親として「いかに在るべきか」という理念への問いを持ち続けて生きる。
夫婦はもっとお互いをほめあうことが大切。
10.子供の成長に応じて接し方を変える。

人間であることを誇りとして生きる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.895
☆☆☆☆☆☆☆
人間であることを誇りとして生きる境涯論とは(3)
☆☆☆☆☆☆☆
人間は長い間、人間でありながら他のものにあこがれてきました。
古代においては超越的な強大な力にあこがれ、中世においては神仏にあこがれ、
近代においては理性にあこがれて理性的になろうとしてきましたが、
今日にいたって、ようやく人間でありながら他のものにあこがれることの間違いに気づいて、
これからは人間であることに感謝し、母なる宇宙のよって人間に生んでいただいたことを喜びを持って素直に受け入れ、人間であることを誇りとして生きることこそ、
母なる宇宙の期待に応える正しい人間としての道であるという自覚に到達したのであると思います。
詳しくは、「人間の境涯」(致知出版社)をお読みください

不完全であることを肯定し、不完全を生き抜く
芳村思風先生の
一語一会 
vol.894
☆☆☆☆☆☆☆
人間を生きるとは、不完全であることを肯定し、不完全を生き抜くこと境涯論とは(2)
☆☆☆☆☆☆☆
感性論哲学は、母なる宇宙の愛の摂理によって命が与えられた人間として、人間であることを大切にし、人間であることに感謝して、人間を生き抜く哲学です。人間を生きるとは、不完全であることを肯定し、不完全を生き抜くことです。
常に不完全でなる存在としての自覚を基礎に、実践を通して、いかなる気づきが生まれ、どこまで成長が達成されるかが、感性論哲学の境涯論なのです。
この不完全を生きるしかない人間が、人間の格を追及し、人間としての成長を遂げていく道筋を7つの段階を持つものとして学問的に体系化したものが感性論哲学の境涯論です。(続く)
「人間の境涯」(致知出版社)より

自分まわりの人を幸せにする力を持って本当の幸せを実感できる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.893
☆☆☆☆☆☆☆
自分まわりの人を幸せにする力を持って本当の幸せを実感できる
境涯論とは(1)
☆☆☆☆☆☆☆
境涯とは、その人の全人格的な成長の水準を意味する。
人間は、自分だけが幸せになるのではなく、まわりの人をも幸せにする力を持って、
初めて本当の幸せを実感できます。人間は、一人では生きられない社会的存在である。
そのためには自分をも他人をも幸せにする力を養って、初めて人間の境涯は成長する。
この力が、人間力です。
境涯論は、西洋には存在しません。西洋においては人間性や性格や個性は神によって与えられ固定されていて、努力して成長させるものではないと考えられています。
人格を磨いて人間性を成長させる体系としての境涯論は出てくる余地がないのです。
英語には、人格という言葉はありません。
東洋においても体系的な境涯論は仏教における「十界論」しかありません。
しかし仏教における境涯論は人間が人間界を超え出て仏の境地をめざすという宗教的な意図があります。
感性論哲学におけるは、人間でありながら神仏の境地に憧れ、神仏を目的にする哲学ではありません。
肉体や感情を持つ人間でありながら、神仏の完全性を目的にすることは「人でなし」をめざすことになるからです。
(続く)
「人間の境涯」(致知出版社)より

なぜ数学を勉強しなければいけなの
芳村思風先生の
一語一会 
vol.892
☆☆☆☆☆☆☆
なぜ数学を勉強しなければいけなの☆☆☆☆☆☆☆
「数学なんて、一生使うことがないのにどうして勉強しなければいけないのか」
「因数分解なんて勉強しても、生きていくのに意味がない」と言われたら、どう答えるか人生では、複雑な問題がたくさんあります。
数学は直接関係ないけど、難しい問題が出てきたとき,逃げないで乗り越えていく能力を作ります。
なんとか解いてみようといろいろな角度からものを考える訓練をする。苦労して「できた!」ときの喜びを味わうことで、意欲も湧いてくるのです。
もうひとつ大切なこと。
子供に勉強を教えてはいけない。親の意見を強制しない。子供に勉強を教えてもらうこと。
教えたら、教えたことしかしない。他の方法を考えなくなり、すぐに他に頼ろうとする。子供に教えてもらう。
「今日どんなこと習ったの?教えて?」
「お母さんは、小学校のときこんな問題がすごく苦手だったの。どうやって解いたらいいか教えて。」
少し大げさでも、感心しながら、聞く。
うまく教えられたら、「よくわかったわ。ありがとう。明日もどんなこと習ったか教えてね。」
一緒に勉強する。一緒に絵を描く。共通体験・共同体験をたくさんすることも大切です。子供だけにやらせようとしないことが大切なのです。

求める愛、与える愛
芳村思風先生の
一語一会 
vol.890
☆☆☆☆☆☆☆
求める愛、与える愛
☆☆☆☆☆☆☆
子供は、「お父さんやお母さんは、自分のことをわかってくれない」と思っています。
どんなにお父さんやお母さんが子供のことを愛しても、子供が求めている愛され方とは完全に一致することはありません。
お父さんやお母さんが、「私は、自分の子供のことをよくわかっている」と思っていても、子供からすると「お父さんやお母さんはわかってくれていない」と思っています。
「親の与える愛」と「子供の求める愛」は、違うからです。
自分が思うように他人は愛してくれません。
親子でも同じです。夫婦の間においても同じです。
「自分が思っているようには」認めてくれないし、わかってくれないし、愛してくれません。
「これだけ愛しているのに・・・」と思うのは、押し付けの愛です。
男女の愛も同じです。
男性が求める愛と女性が求める愛は違います。
どうしたらよいのだろうと探し続けるところに愛があるのです。

愛と恋
芳村思風先生の
一語一会 
vol.889
☆☆☆☆☆☆☆
愛と恋
☆☆☆☆☆☆☆
恋とは・・・
恋は、生物学的には“種族保存”のための生殖欲求に導かれた欲望。
恋は、自然発生的なもの。
原理的には生殖本能という生理的欲求に基づいて出てくる心情。
愛とは・・・
愛とは感じるもの。
愛とは信じること。
愛するとは許すこと。相手の短所を許し、長所を見つけてほめて伸ばす。
愛とは肯定すること。理屈を超えた肯定の心
愛とは認めること。
愛は努力して作るもの愛とは相手の成長を願う心情。愛とは新しい精神文明の核となるもの。
愛は理屈を超える力。
愛とは人間と人間を結びつける力。愛は人間と他のものを結びつける力。愛はすべてを結びつける原理
愛は人間関係の力。
愛とは他者と共に生きる力。
愛とは他者中心的な心の働き、思いやりである。
愛は理性を使った努力。
愛とは「どうしたらいいのだろう?」と悩む心、考える心。
相手のために努力できるということが「愛」があるということ。
人間を愛するというのは不完全な存在を愛するということ。
自分と同じ考え方の人しか愛せないのは、偽者の愛、自分しか愛せない愛である。
愛とは、命を生む能力、育む能力、満たす能力。
愛するとは、相手から学ぶこと。
包容力は、愛。
愛とは、今一番人類に必要とされている能力。
愛の究極の姿は、父性愛と母性愛
男性は、万物の父となり、女性は万物の母となる。
<愛と恋の違い>・恋は、自己中心的な感情。愛は、他者中心な感情。・恋は自然、愛は芸術
・結婚は恋の終わりであり、愛の始まりである。

恋の終わりと愛の始まり
芳村思風先生の
一語一会 
vol.888
☆☆☆☆☆☆☆
結婚は、恋の終わりで、愛の始まり☆☆☆☆☆☆☆
「恋愛」という言葉から、恋と愛は同じ次元と考えられてきました。
愛と恋は、次元の違うものです。比べるものでもありません。
「愛」とは努力すること。
結婚して、長く一緒にいると「結婚する前と、この人は全然ちがう」
「変わった」「こんなはずじゃなかった」という場面が何度も出てくるようになる。
結婚するまでは、見えなかったこともある。
こんな人だと勝手に考えていたこともある。
そのギャップに気づいただけのこと。
相手も変わっているかもしれないが、自分も変わっている。
「恋」は、離れているから生じるもの。
離れているから、近づきたい、一緒にいたいという気持ちが湧いてくる。
「恋」している時には、アバタがエクボに見える。
結婚すると、アバタはアバタとして見えてくる。長く一緒にいると長所が見えなくなって、
短所や欠点がクローズアップされてしまう。
自分の欠点や短所は見えづらい。自分にも短所欠点があると自覚しなければ、
他人の欠点短所が許せない。
人間は皆不完全です。
だから「愛」とは許すことからはじまる。
恋の病は、結婚すれば完治する。
多くの人は結婚して数年、いや数ヶ月ですでに“選ぶ相手を間違えた”と後悔する。
生活を共にし始めたらすぐ正気に戻るから。
アバタはもうエクボには見えなくなる。
結婚したら孤独でなくなる、淋しさが癒される、幸せになれるなんて、勘違いだと気づく。
夫婦関係はまさに人生最大の“行”。これほど人を成長させる人間修行はない。
愛を感情や情熱だと思っているために、夫婦や恋人たちは長く一緒にいると、
愛が冷めた、もう愛がないから別れましょうという話になってくる。
価値観、性格が合わないという理由で簡単に別れる。独占欲や所有欲、執着や嫉妬は、愛ではない。
人間は不完全だから誰かを愛したら嫉妬も感じる。
嫉妬によって関係性を破壊してしまうような行為に出るのは真実の愛から出たものではない。
自分では愛だと思っている自己中心的な感情であり欲望であり執着。
相手が自分の欲求や要求を満たしてくれなかったら消えてしまうような愛は、
とても幼い、未熟な愛です。
恋は、正しい理性が働かなるために修羅場を作るが、愛は正しい理性と一緒になることで育くまれていくものです。
真実の愛には、待つ時間、耐える時間、許す力、信じる力、愛し抜く力、責任といった意志の力や判断力・決断力、忍耐力、努力が不可欠なのです。
恋は自然、愛は芸術。
愛は文化なのです。

理性と愛
芳村思風先生の
一語一会 
vol.887
☆☆☆☆☆☆☆
理性と愛
☆☆☆☆☆☆☆☆近代は、人間の本質は理性とし、理性能力を磨くことが第一とされてきた。
人間の本質は、理性ではない。
人間は、「肉体と感性と理性」が優位的に絡み合ってできている。
近代になり、理性だけが重要視されてきたため、人間が理性化され、あたたかな血の通った人間性が破壊されてきた。
理性的に生きるとは、人間的に生きるということではない。
人間を理性の支配から開放しなければならない。
理性を越える力とは何か。
それは、愛です。愛は、理屈を越える力です。
愛は、理性を越える力です。
愛は、人間関係の力であり、考え方の違う人間と一緒にやっていく力です。
愛は、他者と共に生きる力です。
今まで愛は、自然発生的なものと考えられてきました。
愛は、努力して作っていくもの。
愛は、能力として、進化させるもの。
愛は、実力として成長させるものです。

意志と愛
芳村思風先生の
一語一会 
vol.886
☆☆☆☆☆☆☆
意志と愛
☆☆☆☆☆☆☆☆意志なき愛は、人間を堕落させる。愛なき意志は、人を傷つけることなしには、
その目的を達成することができない

人生は「意志と愛」のドラマ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.885
☆☆☆☆☆☆☆
人生は「意志と愛」のドラマ
☆☆☆☆☆☆☆☆「意志」とは、自己実現の力であり、仕事において成功すること。
「愛」とは、人間と人間をつなぐもの力、人間とその他のものすべてを結びつける力。
人間関係の力。
愛の最終目的は、すばらしい人間関係を創造する力を作ること。
人生の目的とは、意志を実現し、愛を実現すること。生きがいは、意志を実現し、仕事において成功したとき湧いてくるものであり、
愛を実現し、素晴らしい人間関係を持ったときに湧いてくるものです。どちらが欠けても、人間は真の幸せを感じることはできません。
人間は本当に人生において生きがいや喜び、充実感を求めるならば、
人間は誰でも心から愛することができるものと、
人生を賭けて意志するものを持たなくてはいけません。
命は、意志の実現のために生きて、愛を実現するために生きています。人間の歴史は、愛ゆえに命を惜しまず、志のために命を捧げた人間達によって作られてきたのです。
命には命より大切なものがあるのです。

感性と理性の協力関係
芳村思風先生の
一語一会 
vol.884
今日は、カレンダーにない言葉です。
☆☆☆☆☆☆☆
感性と理性の関係☆☆☆☆☆☆☆
大切なのは、理性と感性のバランスではない。
感性と理性の協力関係を作ること。理性とは、客観性と普遍性の能力です。
理性的に考えるとは「みんなにとってどうか」と考えることです。
社会、人類、国家など、自分を包み込む、
より大きなものを視野に入れながら、
自分の中から湧いてくる欲求を実現しようとすることです。
ここに偉大なる人間の仕事が始まるのです。
単に命から湧いてくるものを
そのまま自己中心的にぶつけるのではなく、
湧いてくるものを理性を通して表現するところに
人間的な行動があるのです。
理性は客観性と普遍性の能力であるがゆえに、
それを使って考えると、
そこに「みんなにとってどうなのか」という
社会性・人類性が芽生えることになります。
理性を通して表現することによって、
命から湧いてくるものは「志」となり、
「使命」になるのです。
感性論哲学とは、「感性」が正しくて、「理性」はダメというものではありません。
「感性」が主で、「理性」が従でもありません。
「感性」から湧いてきたものを、
「理性」を使っていかに人の役に立ち、
人に迷惑をかけないようにして、
自分の欲求・欲望を実現するかを考える。
感性と理性のバランスではなく、
「感性と冷静の協力関係をいかに作るか」
感性から湧いてくるものだけでは、野獣と同じ。
理性を使って人間らしくすることが大切なのです。
感性論哲学・年代別教育論を4分冊で「愛の子育て」1~4として順次発売予定です。
ひとりでも多くの必要な方に芳村思風先生の言葉を知っていただければと思っています。よかったらお知り合いにも紹介・転送していただければうれしいです。よろしくお願いします
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時 間:午前9時~午後6時
場 所:残波苑(残波ゴルフクラブ2Fレストラン)
講演内容:学問とは
受講料:15,000円(資料・昼食込)10月19日(水)愛知思風塾
18:00~ ウィンク愛知
※愛知思風塾は、企業の協賛により無料でご参加いただけます。
11月5日(土)神戸・元町 兵庫県民会館
13:30~
思風塾全国大会
講演会:5,000円
懇親会:5,000円(定員120名)
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......
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偏見は誰にでもある
芳村思風先生の
一語一会 
vol.881
☆☆☆☆☆☆
偏見は誰にでもある
☆☆☆☆☆
自分にも偏見があることを自覚している人は少ない。理性的に合理的に判断して、正しい判断をしていると思っている人は、自分に偏見がないと思っている。
実はその人はすべてを合理的なものへと歪めてしまうかたよったものの見方をしている。人間には本当の実体や全体はわかりません。
科学は一部分の領域しか見ていません。
実体は、全分野、全領域がからみあった有機性なのだから、化学ではほんとうのことはわかりません。
だから学問も偏見です。
人間が偏見を超えるためには、決して偏見を無くそうとはせずに、自分には偏見があるという現実と事実を自覚し、
認めることから出発しなければいけません。

違いから学ぶ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.881
言葉には限界があります。想いを正確に表現できないこともあります。同じ言葉でも状況が違えば、響き方が違います。
それまでの経験や体験の違いで、解釈が異なることもあります。
言葉の限界は、理性の限界でもあります。
☆☆☆☆☆☆
どんなにいい考え方や意見でも、すべて受け入れる必要はない。
気に入った所・自分に合った所だけ取り入れ、成長すればいい。
☆☆☆☆☆
個性の時代。
自分の考えは、個性として守ること。考え方も性格も欠点も変えなくてもいい。
人間は不完全だから、考え方も性格も不完全だと知ること。
違う考え方を否定するのではなく、その中の良いところを学び、自分の考え方に活かす。相手の考えをすべて受け入れるのではなく、ちょっとだけ学ぶ。
すべてを受け入れると、自分がなくなってしまう。
自分自身をしっかり持った上で、今自分に必要なものだけ、
納得できるものだけを、相手から学べばいいのです。それは、「変わる」のではなく、「成長する」ということ。
違う意見を否定しない、排除しない。
相手から学ぼうとすることが、「愛」なのです。
相手から学ぼうとすることが、「良い人間関係作り」の第1歩なのです。
考え方・価値観の同じ人としか、一緒に仕事が出来ない、
一緒に暮らせないという人が多い。二人の人間が、全く同じという事はない。
どこか違うところがあって当たり前。
言葉が違う、生活習慣が違う、宗教が違う、価値観が違うと違いを
理由に排除しようとしたら、世界中から対立や戦争はなくならない。
性格の不一致なんて、あたりまえ。全く一致することなんてない。
どれだけたくさん一緒のことがあるか、どれだけ相手のことを尊敬できるか。
相手からどれだけ学ぼうと努力するか。
価値観の違う相手から、考え方の違う相手から、いいところを学ぶことで、
自分の考え方・価値観を成長させる。
そのためには、まず「芯」となる自分の考え・価値観をしっかり持つことが大切。
芯がなければ、ただのつぎはぎだらけのいいとこどりで、自分がなくなる。個性がなくなる。
個性も、人の役に立たないこと、人の迷惑になることは、自分勝手なただのわがままになる。
「感性論哲学」も完璧ではありません。すべてを学ぶ必要はありません。
いいなと思うところ、必要なところ、使えるところだけ学べばいいのです。
すべてを理解したと思っても、それは勘違いです。
感性論哲学は、まだまだ進化成長しています。
芳村思風先生と同じになる必要はないのです。自分自身の個性がなくなる。
自分の芯をしっかりともって、感性論哲学の気に入ったところだけを取り入れたらいいのです。
そして、大切なことは実践すること。
実践しなければ、勉強しても意味がありません。

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