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人間であることを誇りとして生きる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.850
☆☆☆☆☆☆☆
人間であることを誇りとして生きる境涯論とは(3)
☆☆☆☆☆☆☆
人間は長い間、人間でありながら他のものにあこがれてきました。
古代においては超越的な強大な力にあこがれ、中世においては神仏にあこがれ、
近代においては理性にあこがれて理性的になろうとしてきましたが、
今日にいたって、ようやく人間でありながら他のものにあこがれることの間違いに気づいて、
これからは人間であることに感謝し、母なる宇宙のよって人間に生んでいただいたことを喜びを持って素直に受け入れ、人間であることを誇りとして生きることこそ、
母なる宇宙の期待に応える正しい人間としての道であるという自覚に到達したのであると思います。
詳しくは、「人間の境涯」(致知出版社)平成23年2月発行をお読みください。
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人間を生きるとは、不完全であることを肯定し、不完全を生き抜くこと
芳村思風先生の
一語一会 
vol.849
☆☆☆☆☆☆☆
人間を生きるとは、不完全であることを肯定し、不完全を生き抜くこと境涯論とは(2)
☆☆☆☆☆☆☆
感性論哲学は、母なる宇宙の愛の摂理によって命が与えられた人間として、人間であることを大切にし、人間であることに感謝して、人間を生き抜く哲学です。人間を生きるとは、不完全であることを肯定し、不完全を生き抜くことです。
常に不完全でなる存在としての自覚を基礎に、実践を通して、いかなる気づきが生まれ、どこまで成長が達成されるかが、感性論哲学の境涯論なのです。
この不完全を生きるしかない人間が、人間の格を追及し、人間としての成長を遂げていく道筋を7つの段階を持つものとして学問的に体系化したものが感性論哲学の境涯論です。(続く)
「人間の境涯」(致知出版社)より

自分まわりの人を幸せにする力を持って本当の幸せを実感できる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.848
☆☆☆☆☆☆☆
自分まわりの人を幸せにする力を持って本当の幸せを実感できる
境涯論とは(1)
☆☆☆☆☆☆☆
境涯とは、その人の全人格的な成長の水準を意味する。
人間は、自分だけが幸せになるのではなく、まわりの人をも幸せにする力を持って、
初めて本当の幸せを実感できます。人間は、一人では生きられない社会的存在である。
そのためには自分をも他人をも幸せにする力を養って、初めて人間の境涯は成長する。
この力が、人間力です。
境涯論は、西洋には存在しません。西洋においては人間性や性格や個性は神によって与えられ固定されていて、
努力して成長させるものではないと考えられています。
人格を磨いて人間性を成長させる体系としての境涯論は出てくる余地がないのです。
英語には、人格という言葉はありません。
東洋においても体系的な境涯論は仏教における「十界論」しかありません。
しかし仏教における境涯論は人間が人間界を超え出て仏の境地をめざすという宗教的な意図があります。
感性論哲学におけるは、人間でありながら神仏の境地に憧れ、神仏を目的にする哲学ではありません。
肉体や感情を持つ人間でありながら、神仏の完全性を目的にすることは「人でなし」をめざすことになるからです。
(続く)
「人間の境涯」(致知出版社)より

結婚は、恋の終わりで、愛の始まり
芳村思風先生の
一語一会 
vol.847
☆☆☆☆☆☆☆
結婚は、恋の終わりで、愛の始まり☆☆☆☆☆☆☆
「愛」と「恋」の違いとは何でしょうか?
愛は、文学の中では、昔から取りあげられてきましたが、学問として研究されることは、ほとんどありませんでした。
愛は、人間と人間を、人間と世界を、人間とすべてを結びつける力です。
愛は、人間関係の力です。
愛は、情緒的なものだけでなく、実力として評価され、問題解決能力として、成長させていかなければならないものであり、人間が努力して作っていく文化です。
恋愛と一緒に考えがちですが、愛と恋とは全く違うものです。
結婚は、人生の墓場ではなく、「結婚は、恋の終わりで、愛の始まり」です。
「愛」とは努力すること。
「愛」とは許すことからはじまるのです。
恋の病は、結婚すれば完治する。
多くの人は結婚して数年、いや数ヶ月ですでに“選ぶ相手を間違えた”と後悔する。生活を共にし始めたらすぐ正気に戻るから。アバタはもうエクボには見えなくなる。
結婚したら孤独でなくなる、淋しさが癒される、幸せになれるなんて、勘違いだと気づく。
夫婦関係はまさに人生最大の“行”。これほど人を成長させる人間修行はない。
愛を感情や情熱だと思っているために、夫婦や恋人たちは長く一緒にいると、愛が冷めた、もう愛がないから別れましょうという話になってくる。
価値観、性格が合わないという理由で簡単に別れる。独占欲や所有欲、執着や嫉妬は、愛ではない。
人間は不完全だから誰かを愛したら嫉妬も感じる。嫉妬によって関係性を破壊してしまうような行為に出るのは真実の愛から出たものではない。
自分では愛だと思っている自己中心的な感情であり欲望であり執着。相手が自分の欲求や要求を満たしてくれなかったら消えてしまうような愛は、とても幼い、未熟な愛です。
恋は、正しい理性が働かなるために修羅場を作るが、愛は正しい理性と一緒になることで育くまれていくものです。
真実の愛には、待つ時間、耐える時間、許す力、信じる力、愛し抜く力、責任といった意志の力や判断力・決断力、忍耐力、努力が不可欠なのです。
恋は自然、愛は芸術。
愛は文化なのです。

感性と理性の関係
芳村思風先生の
一語一会 
vol.846
☆☆☆☆☆☆☆
感性と理性の関係☆☆☆☆☆☆☆
大切なのは、理性と感性のバランスではない。
感性と理性の協力関係を作ること。理性とは、客観性と普遍性の能力です。
理性的に考えるとは「みんなにとってどうか」と考えることです。
社会、人類、国家など、自分を包み込む、
より大きなものを視野に入れながら、
自分の中から湧いてくる欲求を実現しようとすることです。
ここに偉大なる人間の仕事が始まるのです。
単に命から湧いてくるものを
そのまま自己中心的にぶつけるのではなく、
湧いてくるものを理性を通して表現するところに
人間的な行動があるのです。
理性は客観性と普遍性の能力であるがゆえに、
それを使って考えると、
そこに「みんなにとってどうなのか」という
社会性・人類性が芽生えることになります。
理性を通して表現することによって、
命から湧いてくるものは「志」となり、
「使命」になるのです。
感性論哲学とは、「感性」が正しくて、「理性」はダメというものではありません。
「感性」が主で、「理性」が従でもありません。
「感性」から沸いてきたものを、
「理性」を使っていかに人の役に立ち、
人に迷惑をかけないようにして、
自分の欲求・欲望を実現するかを考える。
感性と理性のバランスではなく、
「感性と冷静の協力関係をいかに作るか」
感性から湧いてくるものだけでは、野獣と同じ。
理性を使って人間らしくすることが大切なのです。

感性とはなにか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.845
☆☆☆☆☆☆☆
感性とはなにか
☆☆☆☆☆☆☆
感性の本質は、求感性(求感性)。今までは、感性=感受性とされてきました。
感受性は、消極的・受動的能力です。
求感性とは、自分が生きていくために必要な情報を自ら積極的に求めて感じ取ろうとする働き。
感受性を高めるには、求感性を高めることが大切です。
求める気持ちが強いほど、感受性が強くなるのです。求めるから、感受できるのです。

生きるということは、変化し続けること
芳村思風先生の
一語一会 
vol.844
☆☆☆☆☆☆☆
生きるということは、変化し続けること
☆☆☆☆☆☆☆
命あるものは、変化しています。
命あるものは、感性の働きにより、調和を模索し調和を求め続け、
合理的なあり方を模索し、合理的なものを求め続け、統一を模索し統一を求め続けている。
命あるものは、静止していません。固定されてはいません。
人間は不完全です。
完全をめざしても、永遠に完全なものになることはありません。
より完全に、より完成に近づく努力をし続けなければならないのです。命を生み出した宇宙もまたプラスとマイナスのエネルギーがバランスを模索し続けながら動き続けています。宇宙には、定まった原理はありません。
宇宙は、法則に従って動いているのではなく、法則を作り出しながら生きています。
宇宙そのものも、ゆらいでいます。物質の究極の姿は、ゆらぎなのです。
一気に大きな変化を作り出す必要はありません。
小さなことから変化させる。
小さな変化の積み重ねが、気がついたとき大きな差となっている。
変化しないということは、成長しないということです。
しっかりと自分の中心軸を持ちながらもゆらいでいなければいけないのです。
その中心軸に感性論哲学をおいて
いろいろな考え方を取り入れて、自分の考え方を広げていく。
中心軸は、ぶれないで、それ以外は、常にぶれ続けながら、成長していくのです。

なぜ数学を勉強しなければいけなの
芳村思風先生の
一語一会 
vol.843
☆☆☆☆☆☆☆
なぜ数学を勉強しなければいけなの☆☆☆☆☆☆☆
「数学なんて、一生使うことがないのにどうして勉強しなければいけないのか」
「因数分解なんて勉強しても、生きていくのに意味がない」と言われたら、どう答えるか人生では、複雑な問題がたくさんあります。
数学は直接関係ないけど、難しい問題が出てきたとき,逃げないで乗り越えていく能力を作ります。
なんとか解いてみようといろいろな角度からものを考える訓練をする。苦労して「できた!」ときの喜びを味わうことで、意欲も湧いてくるのです。
もうひとつ大切なこと。
子供に勉強を教えてはいけない。親の意見を強制しない。子供に勉強を教えてもらうこと。
教えたら、教えたことしかしない。他の方法を考えなくなり、すぐに他に頼ろうとする。子供に教えてもらう。
「今日どんなこと習ったの?教えて?」
「お母さんは、小学校のときこんな問題がすごく苦手だったの。どうやって解いたらいいか教えて。」
少し大げさでも、感心しながら、聞く。
うまく教えられたら、「よくわかったわ。ありがとう。明日もどんなこと習ったか教えてね。」
一緒に勉強する。一緒に絵を描く。共通体験・共同体験をたくさんすることも大切です。子供だけにやらせようとしないことが大切なのです。

なぜ学校へ行くのか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.842
☆☆☆☆☆☆☆
なぜ学校へ行くのか
☆☆☆☆☆☆☆
「学校へ行く意味がわからない」と子供が言う。
その時、どう答えるか。
学校では、生きる知恵は、教えてくれない。知識を教えるところ。では、なぜ知識が必要なのか。
今の世の中では、どれだけの知識を持っているかで、人間の自由度が決まるからです。知識の量が、自由の大きさを広げる。学校へ行くことで、選択肢の幅が広がるのです。
動物や植物は、体験でしか学べない。人間だけが、体験だけでなく、知識として学ぶことができる。
知識だけ増えても、それを活かすことは、その人の育つ環境や人間関係、気持ちの持ち方で変わる。
知識を知恵に変えるのは、命の底から湧いてくる欲求や欲望、興味・関心・好奇心。
欲求や欲望が湧いてくるのを否定する必要はない。
理性で、欲求や欲望を押さえつけることが続くと自分が見えなくなってくる。
「自分を知る」「自分とつながる」第1歩は、命の底から湧いてくる欲求や欲望を持つこと。
抑えないこと。しかし、欲求や欲望のままに動くのは、野獣。
湧いてきた欲求や欲望を、いかに人に迷惑をかけず、人の役に立つものにするかということに理性を使う。広く深く理性を使うためには、知識の量が必要になってくる。
どうすれば自分のやりたいことを、人に迷惑をかけず,やることができるかを考えるために、知識の量が役立つ。
人の協力を得るためには、人の気持ちがわからないといけない。
学校は、そのための経験・体験の場でもあるのです。

求める愛、与える愛
芳村思風先生の
一語一会 
vol.841
☆☆☆☆☆☆☆
求める愛、与える愛
☆☆☆☆☆☆☆
子供は、「お父さんやお母さんは、自分のことをわかってくれない」と思っています。
どんなにお父さんやお母さんが子供のことを愛しても、子供が求めている愛され方とは完全に一致することはありません。
お父さんやお母さんが、「私は、自分の子供のことをよくわかっている」と思っていても、子供からすると「お父さんやお母さんはわかってくれていない」と思っています。
「親の与える愛」と「子供の求める愛」は、違うからです。
自分が思うように他人は愛してくれません。
親子でも同じです。夫婦の間においても同じです。
「自分が思っているようには」認めてくれないし、わかってくれないし、愛してくれません。
「これだけ愛しているのに・・・」と思うのは、押し付けの愛です。

愛ある子育て(3)
芳村思風先生の
一語一会 
vol.839
☆☆☆☆☆☆☆
年代別教育論
愛ある子育て(3)
☆☆☆☆☆☆☆
E.13~15歳まで(第二反抗期)
1.この時期に必要なことは、主体性と責任感の二つを作ること。
2.人格に目覚める頃だから、子供の人格を認めて接することが大切。
F.15~20歳まで(自分で自分を教育する)
1.「自分で自分を教育することを教える。目的を持たせることが大切。2.「将来どんな人間になりたいか」 「将来どんな仕事がしたいのか」 「将来どんな生活がしたいのか」 を問い、考えさせる。

愛ある子育て(2)
芳村思風先生の
一語一会 
vol.838
☆☆☆☆☆☆☆
年代別教育論
愛ある子育て(2)
☆☆☆☆☆☆☆
C.6~10歳まで(善悪正邪の区別)
1.子供が主体的に人間的判断をするための土台となる大人の持っている常識としての善悪正邪の区別をしっかり教え込む。
2.自信を持って生きる力をつくるために、学問的に正しい知識を教え込む。
3.学ぶ喜び、やった~!できた~!という喜びと感動を与え体験させる。
4.子供に質問して、教えてもらって、子供をほめる。D.10~13歳まで(過渡期)
1.親は、先生を批判したりけなさず、先生を誉めて好きにさせる。
2. 何か質問されてもすぐに答えず、一緒に調べたり、どのようにすれば答えが出るか、その方法を教え一緒に考える。
3.10歳過ぎたらたたいたり、殴ったりしてはいけない。スパルタ教育・体罰はやめる。4.天分を見つける努力をする。

愛ある子育て(1)
芳村思風先生の
一語一会 
vol.837
☆☆☆☆☆☆☆
年代別教育論
愛ある子育て(1)
☆☆☆☆☆☆☆
A.0~3歳 
1.赤ちゃんの心に、本当に安心して生きていくという安心感と信頼感をしみこませる。
2.生きることの原点である信じる力を傷つけずに維持する。
3.スキンシップを通じて子供に充分な信頼感と安心感、愛を感じさせる。
4.子供の心を満たしきる。
B.3~6歳まで(第一反抗期) 1.反抗させる。反抗させながら、その力を利用して教育する。
2.行動力と自制心(倫理観・善悪正邪の区分の基礎)を創ることを目的に教育する。
3.やりたいということを途中でやめさせず、とことんやらせる。命から湧いてくる欲求が行動力を作る。
4.物事を最後までやりとげるエネルギーを大切にする。
5.遊びの中で、自由にさせて創意工夫をすることを体感させ、常識にしばられないようにさせる。
6.絵本を読んであげる
7. 人に迷惑をかけたときだけは、たたいたり、なぐったりすることで「痛い」という感覚を体験させる。8.この体の痛みは、大人になって人に迷惑をかけたとき、心が痛むようになる。

子供の問題行動への対応のしかた
芳村思風先生の
一語一会 
vol.836
☆☆☆☆☆☆☆
子供の問題行動への対応のしかた
☆☆☆☆☆☆☆
1.子供は悩みや問題をかけても、めったに親や先生に相談はしない。
子供にイジメや何か言動に不審を感じたら、興信所に調べてもらう。 2.反抗しない子供をよい子と思ってはいけない。
反抗を通して子供の気持ちや考え方を理解してあげる愛ある広い心が大切である。
反抗しない子供は、親に嫌われたくないから我慢し、耐えていてくれるのである。
3.ぐれてしまった子供に注意したり、それをやめさせようと叱ることは、火に油を注ぐことになるから、やってはいけないことである。
大切なことは、ぐれてしまった原因や理由を聞いてあげて、その子の心の辛さや苦しみ
や悲しみをほんとうにわかってあげることである。

教育力の低下の5つの原因
芳村思風先生の
一語一会 
vol.836
☆☆☆☆☆☆☆
教育力の低下の5つの原因
☆☆☆☆☆☆☆
1.教育のアウトソーシング(保育所や学校まかせにしすぎている)
2.理性が成長すると本能が衰退する。
育児本能、母性本能の衰退、父性の喪失。
3.科学的理性の発達の結果、ものごとを客観的に見てしまって、理屈抜きの一体感(愛)が持てなくなった。
4.子供が求めるものと大人が与えるものの間に大きなズレが生じ、教育の無力化が起こっている。
5.大人が子供の反抗を恐れている。

教育する側が心得ていなければいけない10か条
芳村思風先生の
一語一会 
vol.835
9月に年代別教育論の冊子「愛ある子育て1」を発売予定です。
「1」は、0~6歳まで。4分冊に成る予定です。
☆☆☆☆☆☆☆
教育する側が心得ていなければいけない10か条
☆☆☆☆☆☆☆
1.大人は常に子供たちに人生の夢を語り続けなければいけない
2.教が育を越えてはならない。育てるために教えるのである。教えすぎたら個性をつぶす。育てるとは、欲求や潜在能力や天分を引き出すこと。
3.肉体が成長している間は、まだ大人ではない。30歳までは子供と考える。30歳までの子供の言動の責任は親にある。
4.人間への深い理解をもつ。
イ.「理屈じゃない、心が欲しい」とは、愛されたい、わかってもらいたい、認めてもらいたい、ということである。
ロ.人間は誰でも長所と短所が半分ずつある。短所がなければ人間ではない。
5.その子から学ばなければ、その子の親にはなれない。愛するとは、相手から学び、相手を知ること。
6.自分がその年頃のとき、どうだったかを思い出しながら、その歳の子供に接する。
7.子供は、常に激しく感じている。親の何気ないひと言や目つき・表情・態度が、子供の心に深い傷を与える。
8.親は子供に間違ったことをしたと思ったら、すぐに謝る。「ごめんね、許してね」
9.親として「いかに在るべきか」という理念への問いを持ち続けて生きる。
夫婦はもっとお互いをほめあうことが大切。
10.子供の成長に応じて接し方を変える。

心と魂と霊について
芳村思風先生の
一語一会 
vol.834
☆☆☆☆☆☆☆
心と魂と霊について
☆☆☆☆☆☆☆
国語辞典では、魂と霊はほとんど同じ解釈になっている。
感性論哲学の原理と人間観をベースに考えるとどうなるか。
人間の命は、感性と肉体と理性が有機的に結びついて人間という一個の命を創っている。命の有機性をさらに構造的に分析していくと、肉体と感性の有機的関連性から、その相乗効果によって生まれるものが魂である。
「一寸の虫にも五分の魂」という言葉があるように魂は、理性を持たない命の段階において、すでに存在する。
また「一球入魂」という表現において、それは全体力と全情熱を込めるという意味で使われるように
理性的な作為を越えた、理性的意識以前の力です。
「心」は、感性と理性の有機的関連性から、その相乗効果として生まれてくるもの。
心づかいというものは、感性の気持ちと理性の思考が協力して生まれる働きです。
このようにして生まれた「魂」と「心」が、さらに有機的に関わって、その相乗効果として現れ出るものが、「霊性」「霊」という高次元な感性の姿です。
霊能力というものは、明らかに魂や心の次元を越えた世界を持っているものです。

人事課の時代
芳村思風先生の
一語一会 
vol.833
☆☆☆☆☆☆☆
人事課の時代
☆☆☆☆☆☆☆
これからの時代のキーワードは、
「パートナーシップ」「融合と統合」
勝つことよりももっとすばらしいことは、
力を合わせて共に成長すること
理屈を越えて力を合わせるために大切なものが愛の実力。
愛と対話とパートナーシップの時代会社の中でも重要な役割を担うのが「人事課」
これからは人事課の時代
ひとりひとりの長所短所を見極め、お互いの長所を伸ばす。
誰をどこに配置するか。
誰と誰を組み合わせてチームをつくるか。
組織を固定させない。
融合とは、溶け合ってひとつになること。
統合とは、互いの個性を残しながら、ひとつになること。
どんな問題でも、理屈を越えて力を合わせれば乗り越えられる。
会社だけでなく、地域でも、国でも同じ。
※「鍋料理」で考えてみるとわかりやすい
鍋料理をつくるのに何が必要か。
メインは、牛肉なのか豚肉なのか鶏肉なのか
メインだけでは、鍋料理にならない。
白菜・にんじん・しいたけ・・・
これだけでも、ひとつにならない。水がなければまとまらない。
水だけでもダメ、おいしい出汁にするために何が必要か。
分量のバランスも考えなければいけない。
鍋も必要。具材に合わせて土鍋かすき焼き用の鍋か
目的に合わせて、道具や具材を変える。

人格的魅力とは
芳村思風先生の
一語一会 
vol.832
☆☆☆☆☆☆☆
人格的魅力とは
☆☆☆☆☆☆☆
人格には、「高さ」、「深さ」、「大きさ」があります
イ.人格の高さとはなにか
1.人格の高さとは、真善美へのより高度なより厳密な価値への感覚
2.にじみでる謙虚さ
3.自信をもつ
4.志の高さ…志にも高さ深さ広さがある。志の高さ・志の深さ・志の広さ(大きさ)
5.人間的実践理念を問い続ける 
  在る(ある)…いかに在るべきか(現在)
  為す(なす)…いかに為すべきか(行動態度)
  成る(なる)…いかに成るべきか(未来)
ロ.人格の深さとは
1.意味や価値を感じる厚みである
2.苦労・悩み・忍耐の質に関係する(外からの否定的な力により深くなる)
3.「逃げない」という姿勢が深さをつくるための前提条件
4. 10歳までは、強く叱る。内省的な心と倫理意識・善悪の判断を体で教える
5.問題や悩みはなくならないことを知る。
問題を乗り越えることが人生だということを理解する。
6.七転八倒が絶対的幸福境涯。七転び八起きではなく、8回目もぶっ倒れる覚悟を持って挑み続ける
7.本質への問い(物事の本質を見抜く力をつける)
 理念への問い(人を見る目・ものを見る目・物事への深い理解)
「愛とは何か」「ほんとうの勇気とはなにか」などを問い続ける、答えはない
8.無頼独行の問題解決の能力を育てる
ハ.人格の大きさ(広さ)とは
1.器・度量・包容力・統率力の大きさを作る
2.人間性の豊かさをもつ(考え方・価値観・感じ方の違う人間をどれだけ包容できるか) (お茶やお花、ピアノをことは教養の豊かさを作るだけで、人間性の豊かさではない)3.「対立とは、自分が人間として成長するために学ばなければならない人間が
誰であるかを教えてくれる現象」ということを理解する
対立を乗り越えること、人間関係の修羅場が、大きさをつくる
4.感情的対立を乗り越える
5.大きさをつくる精神的原理を知る・問いを持つ
空間的全体性(対存在の原理・能力の無限の可能性・大きな世界と関わる) 
時間的全体性(先見力・夢理想を描く力・歴史観をもつ)

人間的魅力とは
芳村思風先生の
一語一会 
vol.831
☆☆☆☆☆☆☆
人間的魅力とは
☆☆☆☆☆☆☆
感動するのは、自然。
人を感動させる力が、人間的魅力
人間は、感性・肉体・理性の3つの要素からできているので、
感性的魅力・肉体的魅力・理性的魅力がある
1.感性的魅力は、性格的魅力と人格的魅力からなる。イ.性格的魅力とは、性格は自然発生的、ムリに変える必要はない。
能力や人格を磨くことで個性としての魅力になる
ロ.人格的魅力は、「高さ」「深さ」「大きさ」に分かれる。
2.肉体的魅力
イ.容姿
ロ.目つき・表情・態度
ハ.立ち居振る舞い
3.理性的魅力には、「職業能力の魅力」と「人間的魅力」がある
イ.職業的能力の魅力とは、「さすがプロ」といわれるだけの並外れた知識の量や高い技術
ロ.人間力の魅力は、内的人間力と外的人間力あある。
・内的人間力
1.気力(感性)
2.体力(肉体)
3.知力(感性)
4.意志の力
5.愛の力
・外的人間力
1.政治力
2.経済力
3.教育力
4.文化力
これらの項目が総合的統合的に表現させてものが人間的魅力になる。

人間の格
芳村思風先生の
一語一会 
vol.830
☆☆☆☆☆☆☆
人間の格
☆☆☆☆☆☆☆
人間は、人格を生まれてくるのではない。
生まれた後に努力して人間としての格を獲得して人間になる。
人格とは、何か。人格の柱は、理性ではない。頭がいい人間が人格者であるとは限らないからです。
人格は、技術ではありません。
人格となった人間性は、内から自然に現われでて、感性的に表現されるものです。
人間教育の理念は、理性の発達ではなく、感性の人間化におかなければいけません。
人材教育ではなく、人物教育が必要なのです。
西洋には、人格という概念はありません。
能力を追求することはありますが、人格を成長させるということはありません。
「格」という言葉は、これから「東洋の時代になる」ための大きなキーワードです。
人格には、「高さ・深さ・大きさ(広さ)」がある。人間的魅力とは何か、人間力とは何か、人格の高さとは何か、人格の深さとは何か、
人格の大きさ(広さ)とは何か
について考えてみてください。

よい人間関係をつくるための5つの原則
芳村思風先生の
一語一会 
vol.828
☆☆☆☆☆☆☆
よい人間関係をつくるための5つの原則
☆☆☆☆☆☆☆
1.人間への深い理解を心がける
愛すること、認めること、わかってあげること
誰も、自分が願っているようには愛してくれない。
誰も、自分が求めているようには認めてくれない。
「こんなに愛しているのに・・・」と思うことは、押し付けの愛
子供が求めている愛と父親母親が子供に対して抱いている愛とは少し違いがある。
自分が与える愛と相手が求める愛にはずれがある。
人と共に生きるためには、語りかけ、話し合い、理解しあえるように努力する必要があるのです。
2.謙虚な理性をもつ
大切なことは、考えて得るものではなく、感じるもの自分と違った考え方への対応の仕方、心づかい
説得するのではなく、納得させること。
自分の価値観や主張にこだわり対立するのではなく、相手のいいところを取り入れる「発展的解消の論理」を知ること。
3.人間関係に完全性を求めてはならない
短所はなくならない。短所があってこそ人間
長所を伸ばす
偏見は、なくならない
我をなくす」のではなく、我を活かす・物欲も活かす信じ、許し、待ち、育てることが愛。   
4.勝つことよりも、力を合わせること
勝つことよりも、力を合わせることに喜びを感じる=愛
力を合わせて共に成長していく
分裂から融合・統合へ
弱肉強食から適者生存へ
統合とパートナーシップ
5.ユーモアのセンスを持つ   
言葉を魂のあるものとして使えるようになる深い教養を身につける。

求める愛、与える愛
芳村思風先生の
一語一会 
vol.827
☆☆☆☆☆☆☆
求める愛、与える愛
☆☆☆☆☆☆☆
子供は、「お父さんやお母さんは、自分のことをわかってくれない」と思っています。
どんなにお父さんやお母さんが子供のことを愛しても、子供が求めている愛され方とは完全に一致することはありません。
お父さんやお母さんが、「私は、自分の子供のことをよくわかっている」と思っていても、子供からすると「お父さんやお母さんはわかってくれていない」と思っています。
「親の与える愛」と「子供の求める愛」は、違うからです。
自分が思うように他人は愛してくれません。
親子でも同じです。恋人同士や夫婦の間においても同じです。
どんなに分かり合えている夫婦であっていても、男性の思う愛と女性が求める愛は違います。
同じように、女性が思う愛と男性が求める愛は違います。
「自分が思っているようには」認めてくれないし、わかってくれないし、愛してくれません。
「これだけ愛しているのに・・・」と思うのは、押し付けの愛です。

問題を乗り越え続ける
芳村思風先生の
一語一会 
vol.803
☆☆☆☆☆☆
問題を乗り越え続ける
☆☆☆☆☆☆
人生は、どの道を選ぶかではなく、選んだ道からでてくる問題を乗り越え続けられるかで決まる。
多くの人は、問題がでてくると、「選んだ道が間違っていた」と考えてしまいます。
これは、理性で考えているから。
問題がない道が正しい道ではありません。
人間は、不完全です。問題や悩みのない人生はありません。
不完全な人間が行うのだから、どの道を選んでも、問題は必ず起こってきます。
大切なのは、必ず乗り越えられると信じて、でてきた問題から逃げないこと。
問題がないことを願ってはいけません。
決断からでてくる問題を乗り越える続ける努力をするかどうかできまります。
「決断」とは、道をきめることだけではない。
選ばなかった道への未練を断ち切ること。
「やっぱりあっちの道を選べばよかった」と考えているのでは、決めたけど、断ち切れていない。
問題や壁がやってくるとどうしても「選択を失敗した」と考えてしまう。
苦労して就職した会社でも、しばらくすると「こんなはずじゃなかった」「思っていたのと違う」
「自分のやりたい仕事ではない」「こんな上司では仕事ができない」といろいろな問題や悩みが出てくる。人生は、決断と選択の繰り返し。
選んだ道に間違いはない。失敗もない。
経験として捉えられるかどうか。
選んだ会社や仕事や人間関係は、いろいろな「縁」が重なって、自分のところにきたもの。
一度決めたからには、必死になって取り組んでみる。そこから新しい道も生まれてくる。問題がないのは、感じていないだけ。
苦しみ・悩みは、人生を楽しませるためにでてくるのです。
体験と経験の違い体験…肉体を通して学んだ事実
経験…経験から学んだ知恵

どうすれば謙虚さがにじみでるか
☆☆☆☆☆☆☆
どうすれば謙虚さがにじみでるか
☆☆☆☆☆☆☆
では、どうすれば謙虚さが、にじみでてくるか。
謙虚であるとは、傲慢でないということ。
偏見・我・短所をなくそうとすると傲慢になります。人間には、誰でも長所が半分と短所が半分あります。短所があることを自覚する。偏見があることを自覚する。
自覚することで、他人の意見も聞こうという謙虚な気持ちが出てきます。
人間は、不完全だから罪を犯すことなしには、生きていけません。
罪の意識を自覚が、人間を謙虚にし、傲慢さをなくすのです。
どんなにいい政策でも、半分の人には、不利益になることもあるのです。
人間らしい心は、他の命を奪うことなしには、生きていけません。
すべての生物は、他の生物の命を奪って生きています。
人間だけがそのことを自覚できるのです。
すべてのものに感謝する。それが人間らしい心をつくるのです。

人生は「意志と愛」のドラマ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.824
☆☆☆☆☆☆☆☆人生は「意志と愛」のドラマ
☆☆☆☆☆☆☆☆「意志」とは、自己実現の力であり、仕事において成功すること。
「愛」とは、人間と人間をつなぐもの力、人間とその他のものすべてを結びつける力。
人間関係の力。
愛の最終目的は、すばらしい人間関係を創造する力を作ること。
人生の目的とは、意志を実現し、愛を実現すること。生きがいは、意志を実現し、仕事において成功したとき湧いてくるものであり、
愛を実現し、素晴らしい人間関係を持ったときに湧いてくるものです。成功者といわれる人でも、すべてが幸せではありません。
数多く見られる家族の危機や崩壊。病気や事件。
理性中心で、意志ばかりを積み重ねてきたために、愛を置き去りにしてきた結果です。
意志と愛、どちらが欠けても、人間は真の幸せを感じることはできません。
人間は本当に人生において生きがいや喜び、充実感を求めるならば、
人間は誰でも心から愛することができるものと、人生を賭けて意志するものを持たなくてはいけません。
命は、意志の実現のために生きて、愛を実現するために生きています。人間の歴史は、愛ゆえに命を惜しまず、志のために命を捧げた人間達によって作られてきたのです。
命には命より大切なものがあるのです。

万物の父となれ、万物の母となれ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.823
今月は、カレンダーにない言葉の解説です。
感性論哲学の目的は、「世界平和」と「全人類の人間性の進化」
感性論哲学以外に、「愛」を能力としてとらえ、学問として、愛を実力として成長させることを説いているものはありません。
☆☆☆☆☆
愛とはなにか
☆☆☆☆☆
愛するもののために生きる。
男性は、万物の父となり、女性は万物の母となる。
父性愛と母性愛、これが愛の究極の姿です。
愛とは感じるもの。
愛とは信じること。
愛するとは許すこと。相手の短所を許し、長所を見つけてほめて伸ばす。
愛とは肯定すること。理屈を超えた肯定の心
愛とは認めること。
愛は努力して作るもの
愛とは相手の成長を願う心情。
愛とは新しい精神文明の核となるもの。
愛は理屈を超える力。
愛とは人間と人間を結びつける力。愛は人間と他のものを結びつける力。愛はすべてを結びつける原理
愛は人間関係の力。
愛とは他者と共に生きる力。
愛とは他者中心的な心の働き、思いやりである。
愛は理性を使った努力。
愛とは「どうしたらいいのだろう?」と悩む心、考える心。
相手のために努力できるということが「愛」があるということ。
人間を愛するというのは不完全な存在を愛するということ。
自分と同じ考え方の人しか愛せないのは、偽者の愛、自分しか愛せない愛である。
愛とは、命を生む能力、育む能力、満たす能力。
愛するとは、相手から学ぶこと。
包容力は、愛。
愛とは、今一番人類に必要とされている能力。
結婚は恋の墓場であり、愛の始まりである。
恋は自然、愛は芸術
古来より「愛」は、文学の中でしか語られてこなかった。
愛を学問の対象とされてこなかった。
愛を能力として捉え、実力として成長させることがこれからの時代の課題です。
感性論哲学は、愛の哲学です。

心の中に平和のとりでを築く
芳村思風先生の
一語一会 
vol.822

今日から8月。
今月は、カレンダーにない言葉の解説です。
まだまだ原発の問題が解決するには時間がかかりそうです。
原発に変わる新しいエネルギーは、自然エネルギーだけではありません。
水の中にある「藻」からできるエネルギーの開発が日本人の科学者の手によって進められています。
すでに実用化のめどまでたっているようです。
日本よりも海外の企業などが注目し、開発援助の申し出があとを絶たないそうです。
今、日本人がやるべきことは、
新しいエネルギーの開発とあわせて、核廃棄物・放射能の無力化と有効利用の方法の研究です。
核兵器の廃棄ではなく、核兵器の無力化ができれば、核兵器を持つ意味がなくなります。それと共に大切なことは・・・
☆☆☆☆☆☆☆
心の中に平和のとりでを築く
☆☆☆☆☆☆☆
核兵器の廃絶では、戦争は、なくならない。
核兵器があると、大量殺戮に至る戦争への不安は大きい。
すでに核兵器を作る能力を持った人類において、今核兵器を廃絶したら必ずや誰かが核兵器を作って、世界を支配しようとする人間が出てくる。
核兵器があることよりももっと恐ろしいのは、人間どうしがお互いに疑心暗鬼におちいることである。
疑う心を持てば、たとえ核兵器がなくなったとしても戦争は起こる。
戦争のない平和な世界を実現するための究極の原理は、ユネスコ憲章前文。
「戦争は、人間の心の中で生まれるものであるから人間の心の中に平和の砦を築かなければならない。」
「人間の心の中の平和の砦」とはなにか。
1.謙虚な理性の確立。
2.勝つことより、もっと素晴らしいことは、力を合わせて共に成長すること。
3.対立とは、自分が成長するために学び取らなければならないものを持っているのは、誰かを教えてくれる現象である。
この3つの意識改革が、心の中の平和の砦となる。

性格の不一致なんて、あたりまえ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.821
☆☆☆☆☆☆
どんなにいい考え方や意見でも、すべて受け入れる必要はない。
気に入った所・自分に合った所だけ取り入れ、成長すればいい。
☆☆☆☆☆
個性の時代。
自分の考えは、個性として守ること。考え方も性格も欠点も変えなくてもいい。
人間は不完全だから、考え方も性格も不完全だと知ること。
違う考え方を否定するのではなく、その中の良いところを学び、自分の考え方に活かす。相手の考えをすべて受け入れるのではなく、ちょっとだけ学ぶ。
すべてを受け入れると、自分がなくなってしまう。
自分自身をしっかり持った上で、今自分に必要なものだけ、
納得できるものだけを、相手から学べばいいのです。それは、「変わる」のではなく、「成長する」ということ。
違う意見を否定しない、排除しない。
相手から学ぼうとすることが、「愛」なのです。
相手から学ぼうとすることが、「良い人間関係作り」の第1歩なのです。
考え方・価値観の同じ人としか、一緒に仕事が出来ない、
一緒に暮らせないという人が多い。二人の人間が、全く同じという事はない。
どこか違うところがあって当たり前。
言葉が違う、生活習慣が違う、宗教が違う、価値観が違うと違いを
理由に排除しようとしたら、世界中から対立や戦争はなくならない。
性格の不一致なんて、あたりまえ。全く一致することなんてない。
どれだけたくさん一緒のことがあるか、どれだけ相手のことを尊敬できるか。
相手からどれだけ学ぼうと努力するか。
価値観の違う相手から、考え方の違う相手から、いいところを学ぶことで、
自分の考え方・価値観を成長させる。
そのためには、まず「芯」となる自分の考え・価値観をしっかり持つことが大切。
芯がなければ、ただのつぎはぎだらけのいいとこどりで、自分がなくなる。個性がなくなる。
個性も、人の役に立たないこと、人の迷惑になることは、自分勝手なただのわがままになる。
「感性論哲学」も完璧ではありません。すべてを学ぶ必要はありません。
いいなと思うところ、必要なところ、使えるところだけ学べばいいのです。
すべてを理解したと思っても、それは勘違いです。
感性論哲学は、まだまだ進化成長しています。
芳村思風先生と同じになる必要はないのです。
自分自身の個性がなくなる。
自分の芯をしっかりともって、感性論哲学の気に入ったところだけを
取り入れたらいいのです。
そして、大切なことは実践すること。
実践しなければ、勉強しても意味がありません。

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