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株式会社童代表の中川やす代です。



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愛国心を越える
芳村思風先生の
一語一会 
vol.730
最近では、祝日に日の丸を立てることも少なくなったようです。
愛国心という言葉について考えてみましょう
☆☆☆☆☆☆
愛国心を越える
☆☆☆☆☆☆
「今の日本人の若者は愛国心がない」と、多くの人が嘆いています。
現象に対するマイナスの評価です。解釈を変えてみると、どうなるのでしょうか。
自分の国のみを大事に思うような小さな愛国心というものを持っている限り、戦争はなくなりません。
21世紀の日本人は、アメリカ人に代わって世界の指導者となり、全人類を夢多き未来に導いくという使命が、与えられています。
人類のため、世界のために貢献するという生き方をするためには、小さな愛国心を持っていると、人類のために生きるという使命を果たすことができません。今の日本の若者たちは、日本が求められている歴史的使命を果たすために、彼らは小さな愛国心を超えたのです。
愛国心をなくしたのではありあません。
彼らは今、愛国心よりも人類愛に生きようとしているのです。
このような精神の成長が、愛国心がないような現象をつくりだしています。
最近では、日本人全体が国民の祝祭日に国旗を立てなくなりました。「君が代」も歌われること少なくなりました。
このことは、民族として、人類愛に生きることを歴史から要請されている状況にあるのです。
国旗を立てなくても、国歌を歌わなくてもよいということではありませんが、どうしてそういう気持ちに日本人が導かれたのでしょうか。
日本人こそ、これからの世界を背負って人類のため、世界のために貢献する生き方をしなければいけないからなのです。
国益優先の小さな愛国心を持っていたら、人類のために働くという活動ができません。
愛国心というものを超えて、若者たちは人類愛に目覚めてしまったのです。愛国心がなくなり情けないとも言われますが、彼らは国境を越えたのです。
人類愛に生きようとし、世界のために貢献しようとしているのです。
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生きるということは、変化し続けること
芳村思風先生の
一語一会 
vol.729
芳村思風先生自身も進化発展しています。ぜひライブでお聞きください。
☆☆☆☆☆☆☆
生きるということは、変化し続けること
☆☆☆☆☆☆☆
命あるものは、変化しています。
命あるものは、感性の働きにより、調和を模索し調和を求め続け、
合理的なあり方を模索し、合理的なものを求め続け、統一を模索し統一を求め続けている。
命あるものは、静止していません。固定されてはいません。
人間は不完全です。
完全をめざしても、永遠に完全なものになることはありません。
より完全に、より完成に近づく努力をし続けなければならないのです。命を生み出した宇宙もまたプラスとマイナスのエネルギーがバランスを模索し続けながら動き続けています。宇宙には、定まった原理はありません。
宇宙は、法則に従って動いているのではなく、法則を作り出しながら生きています。
宇宙そのものも、ゆらいでいます。物質の究極の姿は、ゆらぎなのです。
一気に大きな変化を作り出す必要はありません。
小さなことから変化させる。
小さな変化の積み重ねが、気がついたとき大きな差となっている。
変化しないということは、成長しないということです。
しっかりと自分の中心軸を持ちながらもゆらいでいなければいけないのです。
その中心軸に感性論哲学をおいて
いろいろな考え方を取り入れて、自分の考え方を広げていく。
中心軸は、ぶれないで、それ以外は、常にぶれ続けながら、成長していくのです。

なぜ数学を勉強しなければいけなの
芳村思風先生の
一語一会 
vol.728
☆☆☆☆☆☆☆
なぜ数学を勉強しなければいけなの☆☆☆☆☆☆☆
「数学なんて、一生使うことがないのにどうして勉強しなければいけないのか」
「因数分解なんて勉強しても、生きていくのに意味がない」と言われたら、どう答えるか人生では、複雑な問題がたくさんあります。
数学は直接関係ないけど、難しい問題が出てきたとき,逃げないで乗り越えていく能力を作ります。
なんとか解いてみようといろいろな角度からものを考える訓練をする。苦労して「できた!」ときの喜びを味わうことで、意欲も湧いてくるのです。
もうひとつ大切なこと。
子供に勉強を教えてはいけない。親の意見を強制しない。子供に勉強を教えてもらうこと。
教えたら、教えたことしかしない。他の方法を考えなくなり、すぐに他に頼ろうとする。子供に教えてもらう。
「今日どんなこと習ったの?教えて?」
「お母さんは、小学校のときこんな問題がすごく苦手だったの。どうやって解いたらいいか教えて。」
少し大げさでも、感心しながら、聞く。
うまく教えられたら、「よくわかったわ。ありがとう。明日もどんなこと習ったか教えてね。」
一緒に勉強する。一緒に絵を描く。共通体験・共同体験をたくさんすることも大切です。子供だけにやらせようとしないことが大切なのです。

なぜ学校へ行くのか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.727
「愛ある子育て法」近日発売予定です
☆☆☆☆☆☆☆
なぜ学校へ行くのか
☆☆☆☆☆☆☆
「学校へ行く意味がわからない」と子供が言う。
その時、どう答えるか。
学校では、生きる知恵は、教えてくれない。知識を教えるところ。では、なぜ知識が必要なのか。
今の世の中では、どれだけの知識を持っているかで、人間の自由度が決まるからです。知識の量が、自由の大きさを広げる。学校へ行くことで、選択肢の幅が広がるのです。
動物や植物は、体験でしか学べない。人間だけが、体験だけでなく、知識として学ぶことができる。
知識だけ増えても、それを活かすことは、その人の育つ環境や人間関係、気持ちの持ち方で変わる。
知識を知恵に変えるのは、命の底から湧いてくる欲求や欲望、興味・関心・好奇心。
欲求や欲望が湧いてくるのを否定する必要はない。
理性で、欲求や欲望を押さえつけることが続くと自分が見えなくなってくる。
「自分を知る」「自分とつながる」第1歩は、命の底から湧いてくる欲求や欲望を持つこと。
抑えないこと。しかし、欲求や欲望のままに動くのは、野獣。
湧いてきた欲求や欲望を、いかに人に迷惑をかけず、人の役に立つものにするかということに理性を使う。広く深く理性を使うためには、知識の量が必要になってくる。
どうすれば自分のやりたいことを、人に迷惑をかけず,やることができるかを考えるために、知識の量が役立つ。
人の協力を得るためには、人の気持ちがわからないといけない。
学校は、そのための経験・体験の場でもあるのです。

結婚は、恋の終わりで、愛の始まり
芳村思風先生の
一語一会 
vol.724
☆☆☆☆☆☆☆
結婚は、恋の終わりで、愛の始まり☆☆☆☆☆☆☆
「愛」と「恋」の違いとは何でしょうか?
愛は、文学の中では、昔から取りあげられてきましたが、学問として研究されることは、ほとんどありませんでした。
愛は、人間と人間を、人間と世界を、人間とすべてを結びつける力です。
愛は、人間関係の力です。
愛は、情緒的なものだけでなく、実力として評価され、問題解決能力として、成長させていかなければならないものであり、人間が努力して作っていく文化です。
恋愛と一緒に考えがちですが、愛と恋とは全く違うものです。
結婚は、人生の墓場ではなく、「結婚は、恋の終わりで、愛の始まり」です。
「愛」とは努力すること。
「愛」とは許すことからはじまるのです。
恋の病は、結婚すれば完治する。
多くの人は結婚して数年、いや数ヶ月ですでに“選ぶ相手を間違えた”と後悔する。生活を共にし始めたらすぐ正気に戻るから。アバタはもうエクボには見えなくなる。
結婚したら孤独でなくなる、淋しさが癒される、幸せになれるなんて、勘違いだと気づく。
夫婦関係はまさに人生最大の“行”。これほど人を成長させる人間修行はない。
愛を感情や情熱だと思っているために、夫婦や恋人たちは長く一緒にいると、愛が冷めた、もう愛がないから別れましょうという話になってくる。
価値観、性格が合わないという理由で簡単に別れる。独占欲や所有欲、執着や嫉妬は、愛ではない。
人間は不完全だから誰かを愛したら嫉妬も感じる。嫉妬によって関係性を破壊してしまうような行為に出るのは真実の愛から出たものではない。
自分では愛だと思っている自己中心的な感情であり欲望であり執着。相手が自分の欲求や要求を満たしてくれなかったら消えてしまうような愛は、とても幼い、未熟な愛です。
恋は、正しい理性が働かなるために修羅場を作るが、愛は正しい理性と一緒になることで育くまれていくものです。
真実の愛には、待つ時間、耐える時間、許す力、信じる力、愛し抜く力、責任といった意志の力や判断力・決断力、忍耐力、努力が不可欠なのです。
恋は自然、愛は芸術。
愛は文化なのです。

愛ある子育て13~15歳まで
芳村思風先生の
一語一会 
vol.723
年齢別に、7つの段階に分けてをお話します。
第4階は、13~15歳まで
☆☆☆☆☆☆☆
13~15歳までのポイント
☆☆☆☆☆☆☆
何か質問されてもすぐに答えず、一緒に調べたり、どのようにすれば答えが出るか、その方法を教え一緒に考える。 
この時期に必要なことは、主体性と責任感の二つを作ること。
人格に目覚める頃だから、子供の人格を認めて接することが大切
第1反抗期においては、「行動力と自制心」をつくってあげるという対応をしなければなりませんでした。これは「欲求欲望に基づく反抗という時期」でありました。
第2反抗期というのは、理性に基づく反抗なので、理性に基づく反抗というものを利用しながら、行動力に代わって「主体性」、そして自制心に代わって「責任感」をつくってあげなければならないことになります。
「主体性と責任感」というものを持たせようと思ったら、13 歳過ぎたら、子供に命令してはいけません。「こうしなさい、こうしろ」というような命令をしてはいけないということです。
「お父さんはこう思う」「お母さんはこう思う」というように言って、対応してあげてほしいのです。
子供に対して「お父さん・お母さんの意見を参考にして、もう一度考え直してもらえないか」と言って、「その上で結論を出したのなら、君の思ったようにやっていいから」というような形で、命令するのではなくて、参考意見を言って、子供に再考させて、結論を出させて、結論が出たら、その結論に従って自分が行動する。自分が出した結論で自分が行動する。そして、「自分に責任があるんだ」という意識をつくってあげるということです。
子供が出した結論というものが、親の目から見て間違っていたとしても、それは子供に失敗をさせてあげて、成長させるようにしていかなければなりません。失敗しても親は落胆しないこと。失敗を恐れないで、進んでいくという姿勢を身につけさせるということです。
これが人生を生きる力をつくっていくための大事な原理です。
明日は、15~20歳まで

愛ある子育て10~13歳まで
芳村思風先生の
一語一会 
vol.722
年齢別に、7つの段階に分けてをお話します。
第4階は、10~13歳まで
☆☆☆☆☆☆☆
10~13歳までのポイント
☆☆☆☆☆☆☆
自我の目覚めに至るまでの3年間。・学校や先生とか他人の悪口を子供の前で言ってはならない。
10歳というのは性ホルモンの分泌が始まり、ホルモンの分泌によって意識が急変するという大事な段階です。
男の子・女の子の意識が生まれてくるということを通して、だんだんと子供たちの間で、誰が好きとか、嫌いとかいう感性の力で判断していくという段階に入るのです。
どんなことでも好きになれるように関わってあげること。
・勉強の仕方を教えるという段階
「これ、どうしたらいいの?」と聞いてきた時にすぐに答えを言ってはダメなのです。
「いっしょに調べてみようか」と図書館に行ったり、本屋さんに行ったりして、どういうふうにしたら答えに到達できるのかということを教えてあげなければなりません。「自分で自分を教育する」という段階です。
この時期は、個性が滲み出てくるという状態になってきます。だんだんその子の能力の素質・天分がどこにあるのか、その子の良い所がどういう所なのか、あるいは悪い所はどういう所なのか、そのことを見極めてあげながら、「こういう所に君の素晴らしい力があるね」ということを子供に教えてあげて、それを自覚させる。「こういう所が長所だよね」「こういう所がマイナスだよね」などと、その子のマイナス面もちゃんと自覚させる。
短所の自覚によって、謙虚な心をつくってあげる、ということになってくるための準備段階なのです。

愛ある子育て6~10歳まで
芳村思風先生の
一語一会 
vol.721
感性論哲学は、愛の哲学なので、やさしく言うと「愛の子育て論」「愛ある子育て法」です。
年齢別に、7つの段階に分けてをお話します。
第3階は、6~10歳まで
☆☆☆☆☆☆☆
6~10歳までのポイント
☆☆☆☆☆☆☆
この時期に大切なことは、あまり多くのことを子供に要求しないこと
●正しい知識を教える
●知る喜び・わかる喜び・できる喜びを味あわせる
●正邪善悪を教え込む
この時期で大事なことは、子供に失敗をさせてはならないということです。「やった」「わかった」「できた」という達成感や感動を与え続ける教育をしなければなりません。
「できなかった」「わからなかった」で終わらせてはいけないのです。「わからない」という状態で終わらせないために、わかるまでしっかり説明してあげて、「わかったー」という感動、喜びを子供に与えてあげる。
「知る喜び」「わかる喜び」「できる喜び」を与えてあげるというのがこの時期の大事な教育方法です。
鉄棒の逆上がりにしても、「できなかった」という意識を持たせてはならないので、たとえ手を添えてあげてでも最後は「やったよね」という喜びを子供と先生はともにして「やったらできる」ということを教えてあげるという接し方をすることが大事なことです。
お父さん・お母さんは、ただ「勉強しなさい」というのでは、子供にとってはすごいストレスになってしまいます。
子供と親とは同い年です。同じことを勉強して、子供とともに成長するということが親の責任なのです。
教科書をお父さん・お母さんが読んで、子供に質問して教えてもらう。これが子供を勉強する気のある子供にさせるという、非常に大事な方法論なのです。
「何がいけないことなのか」「何がいいことなのか」「何をやっては悪いのか」という、正邪善悪を徹底的に教え込んでおくことが大事です。小学校に行き始めたら、子供にも謝らせなければなりません。
躾(しつけ)は、10歳までにちゃんとしておかなければならないということです。
理性を使って感性を成長させるというのが人間教育ですので、「感性感性」と言って、感性教育ばかりやっていたのでは却って人間らしい心はできません。
子供が主体的に人間的判断をするための土台となる大人の持っている常識としての善悪正邪の区分をしっかり教え込むことが大切です。
明日は、10~13歳まで

愛ある子育て3~6歳まで
芳村思風先生の
一語一会 
vol.720
感性論哲学は、愛の哲学なので、やさしく言うと「愛の子育て論」「愛ある子育て法」です。
年齢別に、7つの段階に分けてをお話します。
第2段階
☆☆☆☆☆☆☆
3~6歳までのポイント
☆☆☆☆☆☆☆
第一反抗期です。この時期は、反抗させること。反抗させながら、反抗という力を通して、どういうふうに教育するかを考える。
反抗しない子供がいい子ではない。親の言うことをよく聞くだけではダメなのです。
子どもが生まれてくる理由は、歴史をつくるためです。新しい時代をつくるために生まれてくるのです。
親は子どもが生まれてくる理由をしっかり理解しなければならないのです。
歴史をつくろうと思ったら、今まで誰もやったことのないことをしなければなりません。そのために、お父さん・お母さん、先生、大人の言うことを聞いていたのでは新しい歴史をつくることはできません。
反抗と言うのは、生まれながらにプログラムされているのです。
反抗とは、自分自身を確立するために、そういうことをしているのであって、そうしなければ発展成長できないのです。
このことをお父さん・お母さんは認識しておく必要があります。
反抗させる。反抗させながら、その力を通して教育する。
行動力と自制心(倫理観・善悪正邪の区分の基礎)を創ることを目的に教育する。
3歳~6歳までの対応の仕方
●謝ることの大事さを伝える
●子どもに従順・素直さを押しつけない
●納得いくまでやらせる
●子どもの「なぜ?」の質問には、必ず答える。
(この時期は間違っていてもよいからすぐに答えてあげる)
●好きなように遊ばせる
明日は、6~10歳まで

愛ある子育て0~3歳まで
芳村思風先生の
一語一会 
vol.719
感性論哲学の年代別教育論のエッセンスをご紹介します。感性論哲学は、愛の哲学なので、やさしく言うと「愛の子育て論」「愛ある子育て法」です。
年齢別に、7つの段階に分けてをお話します。
第一段階は、0~3歳まで
☆☆☆☆☆☆☆
0~3歳までのポイント
☆☆☆☆☆☆☆
この時期のポイントは、スキンシップを通して、「愛と信頼の応答関係」を作ること
子供は、「一点のくもりもない絶対的信頼」という心を持って生まれてきます。
「愛」と「安心」と「信頼」を子供の心の中にしみこませてあげることが大切なのです。泣き声だけでおっぱいがほしいのか、おしっこが出たのかを気づいてあげられるようになれば信頼感が生まれてくるのです。・赤ちゃんの心に、本当に安心して生きていくという安心感と信頼感をしみこませる。
・生きる事の原点である信じる力を傷つけずに維持する。
・スキンシップを通じて子供に充分な信頼感と安心感、愛を感じさせる。
明日は、3~6歳まで

愛ある子育てのための5つのポイント
芳村思風先生の
一語一会 
vol.718
おはようございます。
今日からは、感性論哲学の年代別教育論のエッセンスをご紹介します。難しいタイトルですが、決して難しい内容ではありません。
感性論哲学は、愛の哲学なので、やさしく言うと「愛の子育て論」「愛ある子育て法」です。
年齢別に、7つの段階に分けてをお話します。
まずは、それぞれの年代に共通する5つのポイントから・・・
☆☆☆☆☆☆☆
愛ある子育てのための5つのポイント
☆☆☆☆☆☆☆
1.教が育を超えてはいけない
子供の見たい、聞きたい、触りたい、知りたいという欲求を抑えてしまわないこと。
現在の教育では、あまりにも教え込もうとするため、欲求が出てこない、何をしていいのかわからない子供が増えています。見たい、聞きたい、知りたいという欲求が自分の中から出てくるように育てること。
自分の力で、「やったぁ~」という感動と喜びを味あわせることが大切なのです。
2.問う力を育てる(理性という能力を関心・欲求を呼び覚ますために使って教育する )問題というのは、問う力です。「問う」ということは、欲求や欲望というものの中にふくまれているのです。
子供の中から問題意識が湧いてくる前に、親や先生が問題を与えてしまい、子供の自発的な能力を出てこないようにしてしまわないこと。
子供の中から湧いてくる問題や興味・関心に対して、どうすればよいのかということを、子供に考えさせることが大切です。自由奔放に遊ばせること。遊びの中でいろいろな問題にぶつかったとき、どうしたらいいのかと考えることが知恵を作るのです。
教えなければいけないのは知識ではありません。意味や価値や素晴しさです。
3.自分がその頃どうであったかを思い出しながら教育する。教育をする場合、常にその時代、どうしてもらったのか、その時どう感じたかということを思い出しながら教育することが大切です。
自分が親からされていやだったことなど、反面教師的なこともあるかもしれません。
4.いつも目に愛の光を
子供は空なる気を吸って育ちます。気とは、感性です。空気を吸うとは、まさに目に見えない感性を吸って生きているのです。
教育において一番大事なものは、言葉ではありません。空間というものが与える意味や価値や値打ちです。それは、目つき・表情・態度なのです。
言葉は理性。目つき・表情・態度は、感性です。
感性は、ウソを言えません。理性はウソが言えます。雰囲気は目つき・表情・態度が作るのです。
空間は感性の海です理屈を超えた雰囲気を作るのは、目つき・表情・態度なのです。感性だから伝わるのです。
だから、いつも目に愛の光を持っていなければならないのです。
5.親の生きる姿勢を見せる
最後は、教育する親の生きる姿勢です。生きる姿勢とは、その人がどういう問題意識を持って生きているかということです。父親とは何か、母親とは何か、どうあるべきかという自分自身の存在に対するといかけを常に自分で意識しながら生きているかどうかということです。
このことが、非常に強い教育力・感化力を持っているのです。
「子供は、親の背を見て育つ」と言われるように、親の生きる姿勢が大切になってきます。
明日は、0~3歳まで

今日は、政治の話・・・
芳村思風先生の
一語一会 
vol.717
おはようございます。
「大連立」という言葉が、連日新聞にでています。
政党がどうこういうより、どう復興していくかが大切なことは、誰もが思っていることなのに、なぜ実現できないのでしょう。
流れは、脱政党政治へと確実に動いています。
☆☆☆☆☆☆☆
発展的解消の論理☆☆☆☆☆☆☆
『統合集約の原理(多数決原理を超えて)~21世紀のリーダーに求められる欠かせない能力とは~』
民主主義社会においては最終の議決方法を多数決原理においています。政治においても取締役会においても教育現場においても最終的に物事を決する方法として多数決原理を取り入れ、まさしくそれが当たり前に実施され、私達の意識にもそれが刷り込まれて大人になってきました。
しかしその結果、政治は数だけの取り合いになり、国会議員は政党の数の為の存在になり個性をなくし、
国家の将来の あるべき姿を語ることを忘れたかのような有様に成り下がってしまい、
恥ずかしい状況を呈しているのが現状です。
感性論哲学は、21世紀以降の議決方法として、多数決によらず、統合集約の原理を使った発展的解消の論理を提唱しています。
【発展的解消の論理】対立を乗り越えるための新しい理性の使い方。
本当に対立を乗り越えるためには、相手の考え方を参考にしながら、自分の考え方を発展させ、相手の考え方を自分の考え方の一部分に取り入れて、呑み込んでしまう。
その発展した考え方の中に相手の考え方が呑み込まれているから、
相手を包容するという関係が生まれる。
多数決を超える新しい原理。
大事なことは、自分が成長すること。その理性の使い方を「発展的解消の論理」と言う。

共感同苦、共感同悲、共感同喜
芳村思風先生の
一語一会 
vol.716
おはようございます。
地震の後、心配していただき、たくさんの方からお電話をいただきました。「だいじょうぶ?」私も電話をかけた時は、「だいじょうぶ?」と聞いていました。そんな中で、一人だけ最初の言葉が違う方がいました。「怖かったでしょ~」この言葉を聞いただけで、涙があふれました。その電話は、芳村思風先生からでした。
☆☆☆☆☆☆☆
共感同苦、共感同悲、共感同喜
☆☆☆☆☆☆☆
理性は違いを探す。感性は、同じ所を探す。違いを探すから、対立がおこる。
同じを探す。共感するのは、感性。人間の本質は、こころ。理屈じゃない心が欲しい。
心が満たされたいと願っている。
「心をあげる」とはどういうことか?誰もがみな自分の気持ちをわかって欲しいと願っている。
共感同苦、共感同悲、共感同喜。
「そうか、そんなに辛かったのか。わかってあげなくてごめんね」「そうだよな~。わかるよ」と受け止めること。
気持ちを理解してあげること。
「頑張れ!」ではない。
「そうか、そんなに苦しかったのか~」と苦しみを共に感じること。
心は、満たされきることはない。
なぜなら、人間は不完全だから。
お互いに「どうして私の気持ちをわかってもらえないのか?」と思っている。
誰もがみな「私のことなんか誰もわかってくれない」と思っている。
自分が「愛されたい」と思うようには、愛されることはない。
親は、どんなに努力しても、子どもは「父親も、母親も、オレのことをわかっていない」と感じている。
子どもが思っているようには、子供を理解していない。それは、子どもが求めるものと、父母が思っていることには、必ず差があるから。
男女の関係においても同じ。
男性がどれだけ女性を愛しても、女性は満たされることはない。
女性がどれだけ男性のことを愛しても男性は満たされることはない。
それは、男性が求めるものと、女性が求めるものが違うから。
長年連れ添った夫婦でも、言わなければ伝わらないことも多い。
「それくらいわかってくれよ」でけんかになってしまう。お互いがお互いのことをわかる努力をする。伝える努力をする。
「これだけ愛しているのに・・・」と思った瞬間から、押し付けになる。「これでいいのか・・・」「こうしたら喜んでくれるかな・・・」と悩む心に「愛」がある。
共感すること。
そして、一緒に苦しみ、一緒に悲しみ、一緒に喜ぶことで、心が通じるのです。

人生は「意志と愛」のドラマ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.715
☆☆☆☆☆☆☆☆人生は「意志と愛」のドラマ
☆☆☆☆☆☆☆☆「意志」とは、自己実現の力であり、仕事において成功すること。
「愛」とは、人間と人間をつなぐもの力、人間とその他のものすべてを結びつける力。
人間関係の力。
愛の最終目的は、すばらしい人間関係を創造する力を作ること。
人生の目的とは、意志を実現し、愛を実現すること。生きがいは、意志を実現し、仕事において成功したとき湧いてくるものであり、愛を実現し、素晴らしい人間関係を持ったときに湧いてくるものです。
どちらが欠けても、人間は真の幸せを感じることはできません。
人間は本当に人生において生きがいや喜び、充実感を求めるならば、
人間は誰でも心から愛することができるものと、人生を賭けて意志するものを持たなくてはいけません。
命は、意志の実現のために生きて、愛を実現するために生きています。人間の歴史は、愛ゆえに命を惜しまず、志のために命を捧げた人間達によって作られてきたのです。
命には命より大切なものがあるのです。

楽しいか楽しくないか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.714
今日はまず最初に、行徳哲男先生の講演でのお話から。
「昭和45年の安保闘争の時、藤本敏雄というカリスマ的指導者がいました。
あの加藤登紀子さんと獄中結婚もした学生運動の闘士です。
当時、藤本についていった学生は二十万人とも言われていました。
彼は、逮捕され三年八ヶ月間を牢獄で過ごします。
出獄したあと、三島の龍沢寺で座禅の修行をした後、私の研修を受けたのです。
そのとき私は彼に「獄中生活で何を学んだのですか」と聞きました。
すると彼は「若気の至りもあって、正しいか間違いでしか物が見みられなくなっていました。
社会の仕組みは正しくない、権力は間違っていると思ったから、それに反発して安田講堂や国会議事堂に突入した。
しかし、獄中生活で知ったのは正しいか、間違いかで物を見る空しさでした。
私はいま楽しいか楽しくないかで物事を見るようにしています。」そう答えたんです。
☆☆☆☆☆☆
感性の判断基準
☆☆☆☆☆☆
「好きかどうか」「楽しいかどうか」の感性の判断基準。理性で考えると、「正しいか間違いか」「損か得か」「儲かるか儲からないか」「善か悪か」で判断してしまう。
理性的な判断基準ばかりでは、かたよりができる。
理性ではなく、肉体と感性を使うこと。理性的な判断だけで物事を裁いてはいけません。「好きか嫌いか」「いい感じか悪いか感じか」「楽しいかどうか」「快か不快か」
の感性の持つ判断基準・能力を使うことも大切なのです。
その上で、創造力を使うこと。
心地よくないものも受け入れて、心地よいものに変えていく力が創造力なのです。
頭で理解していてもできないことが多くある。損か得かで動いていることが多い。
儲かるか儲からないかで決めている。利益は大切。利益がなければ続かない。
物やお金を追求していくと限りがない。
「もっと、もっと」になってしまう。
自分の好きなことをやりながら生きること。
人生を楽しむこと。
そんなことが簡単に出来るなら、誰も悩むことはない。
これだというものが見つかっても、「ほんとうにこれでいいのか」と悩み続ける。
何のために生まれてきたのか。お金も大事だけど、それよりも大切なこと。
会社のためではなく、自分のために生きること。
人の役に立てるために、生きること。
感性の判断基準、「好きか嫌いか」「楽しいか楽しくないか」
「快か不快か」

愛と恋の違い
芳村思風先生の
一語一会 
vol.712
☆☆☆☆☆☆☆
結婚は、恋の墓場で、愛の始まり
☆☆☆☆☆☆☆
「愛」とは努力すること。
結婚して、長く一緒にいると「結婚する前と、この人は全然ちがう」
「変わった」「こんなはずじゃなかった」という場面が何度も出てくるようになる。
結婚するまでは、見えなかったこともある。
こんな人だと勝手に考えていたこともある。
そのギャップに気づいただけのこと。
相手も変わっているかもしれないが、自分も変わっている。
「恋」している時には、アバタがエクボに見える。
結婚すると、アバタはアバタとして見えてくる。長く一緒にいると長所が見えなくなって、短所や欠点がクローズアップされてしまう。
自分の欠点や短所は見えづらい。自分にも短所欠点があると自覚しなければ、他人の欠点短所が許せない。人間は不完全です。
だから「愛」とは許すことからはじまる。
恋の病は、結婚すれば完治する。
多くの人は結婚して数年、いや数ヶ月ですでに“選ぶ相手を間違えた”と後悔する。
生活を共にし始めたらすぐ正気に戻るから。
アバタはもうエクボには見えなくなる。
結婚したら孤独でなくなる、淋しさが癒される、幸せになれるなんて、勘違いだと気づく。
夫婦関係はまさに人生最大の“行”。これほど人を成長させる人間修行はない。
愛を感情や情熱だと思っているために、夫婦や恋人たちは長く一緒にいると、愛が冷めた、もう愛がないから別れましょうという話になってくる。
価値観、性格が合わないという理由で簡単に別れる。独占欲や所有欲、執着や嫉妬は、愛ではない。
人間は不完全だから誰かを愛したら嫉妬も感じる。
嫉妬によって関係性を破壊してしまうような行為に出るのは真実の愛から出たものではない。自分では愛だと思っている自己中心的な感情であり欲望であり執着。相手が自分の欲求や要求を満たしてくれなかったら消えてしまうような愛は、とても幼い、未熟な愛です。恋は、正しい理性が働かなるために修羅場を作るが、愛は正しい理性と一緒になることで育くまれていくものです。
真実の愛には、待つ時間、耐える時間、許す力、信じる力、愛し抜く力、責任といった意志の力や判断力・決断力、忍耐力、努力が不可欠なのです。
恋は自然、愛は芸術。
愛は文化なのです。

意味や価値やすばらしさを感じる
芳村思風先生の
一語一会 
vol.710
☆☆☆☆☆
意味や価値やすばらしさを感じる
☆☆☆☆☆
今やっていることの意味や価値やすばらしさを感じる。
会社や自分がめざすものや、やっていることの意味や価値やすばらしさを情熱を持って語ることができるか。

意志の強さとは
芳村思風先生の
一語一会 
vol.709
☆☆☆☆☆☆☆
意志の強さとは、欲望・欲求・興味・関心・好奇心の強さ
☆☆☆☆☆☆☆
欲求・欲望は、無くす必要はありません。
命から湧いてくる欲求が強ければ強いほど、理性が働き、実現の方向へと進んでいきます。
理性だけでは、意志の強さは生まれません。
したいことをがまんすることが、意志が強いと思われてきたところもあります。
やり遂げるためには、心の底から湧いてくるものが必要です。
ワクワク・ドキドキがなければ楽しくないし、大きな問題を乗り越える不撓不屈の意志とはなりません。
「感受性」よりも「求感性」(ぐかんせい)がたいせつなのです。
求めなければ入ってきません。受身ではないのです。求感性とは、自分が生きるために必要な情報を積極的に求めて感じ取ろうとする力です。命から湧いてくる欲望・欲求・興味・関心・好奇心のことです。
欲求・欲望こそが生きる力になります。欲を捨てる必要はありませんし、なくなりません。
意志の強さは、理屈を超えたところから生まれてくる。
強い意志があれば、自分が納得できる人生を歩むことができるのです。感性だけではダメ。理性だけでもダメ。
感性と理性のバランスではない。
感性と理性を協力させることが大切。
心の底から湧いてくるもの(=感性)を大切にする。燃えてこその人生です。

人生の作り方6つの原則
芳村思風先生の
一語一会 
vol.708
☆☆☆☆☆☆☆
人生の作り方6つの原則
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やりたいことが見つからないのは、やりたいことがわからないから。
どんなことに、興味・関心・好奇心が湧いてくるか。考えても答は出ない。
興味を持ったら、やってみる。動いてみる。
人間には、「感性」と「理性」と「肉体」がある。
「感性」からわいてきた欲求や欲望を、「理性」を使って、どうしたら人に迷惑をかけずにできるか、「肉体」を使ってやってみる。
3つを使わなければ使命は見つからない。
使命とは、この命の使い方。
使命の見つけ方6つのチェックリスト
1.問題から逃げていないか?
2.時流に乗っているか?
3.命から湧いてくる欲求・欲望を大切にしているか?4.天分のツボにはまっているか?
5.現実への異和感を大切にしているか?
6.動いているか?考えていても、答は出ない。
動けば、問題も出てくる。
問題が使命を与えてくれる
人との出会いがある。
出来事との出会いがある。
出会いが人生を作るのです。
「この命、何のために使うか」

自分の哲学を持つ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.707
おはようございます。
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自分の哲学を持つ☆☆☆☆☆☆☆
哲学は、難しいものではありません。哲学は、「もっと幸せになりたい」という命から湧いてくる欲求、幸福欲を実現するためのものです。
感性論哲学は、実践の哲学です。
学ぶだけでは、意味がありません。哲学というと難しい、生活に必要ない、知らなくても何の影響もない、経営に関係ないと思われるかもしれません。
哲学は、生活の中で一人ひとりの命を生かす学問です。誰もが持っていなければならないものです。
理性を使って、未来を考える。将来は、どうなるかではない。
「将来、こうなりたい」と夢や理想を理性を使って考え、熱く語ることが大切です。
すべての革命や変革は、たったひとりから始まります。赤字企業が高収益企業に変わるのも、トップの哲学からです。
国もたった一人の政治家から変わるのです。
哲学は、破壊の学問です。
実践に活かすための学問です。
現状を変革するには、今あるものを壊さなければいけません。
どんな素晴しいものでも、時代と共に価値観が変わったり、人々の欲求が変わってくると、変化させなければなりません。
常識で考えるのではなく、常識を考え、よりよい方向へと変えていくための学問です。
哲学は、自分の芯を作る。中心軸を作るのです。
芯をしっかり作っていないと、つぎはぎだらけで自分が無くなってしまいます。
それが○○流哲学、○○哲学です。○○には、自分の名前を入れる
芯とは、命から湧いてきた夢や理想を実現するために「これだけは譲れない」というものです。
いろいろな考え方や価値観を学び、今の自分に必要なところだけを取り入れて、自分の哲学を成長させ、実践していくことに意味があるのです。しっかり中心軸を持ちながらも、違う価値観や意見を取り入れ、ゆらぎながら成長していくのです。
やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・

天分を見つけるツボ
芳村思風先生の
一語一会 
vol.706
☆☆☆☆☆☆☆
天分を見つけるツボ
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人間は、感性と理性と肉体でできています。
感性から湧いてきたものを、理性を使って、いかにしたら他人に迷惑をかけずに実現できるかを考え、肉体を使ってやってみる。
理性(頭)で何をするかを考えるのではなく、感性で感じることが大切。欲求や欲望のままに動いて、他人に迷惑をかけるの、野獣と同じ。
見ていて好きなだけではだめ。体を使ってやってみること。
感性と理性のバランスではないのです。
感性と理性の協力関係を作ることです。
<天分発見のツボ!>
1.やってみて、好きになれるかどうか?
2.やってみて、興味関心が持てるかどうか?
3.やってみて、得手・得意と思えるかどうか?
4.やってみて、他人よりうまくできるかどうか?
5.真剣にやってみたら、問題意識が持てるかどうか?天分のツボに、はまった人生ほど面白いものはありません。
5つすべて当てはまる必要はありません。
当てはまるのが多いほど、ツボにはまっているということです。

この命、何のために使うか
芳村思風先生の
一語一会 
vol.705
「なぜ生まれてきたのか」
「なぜ生きなければいけないのか」「なんのために生きるのか」
この問いは、いくら考えても答はありません。
理性で考えても答は、でないのです。なぜなら理性は、命に内在する能力のひとつですから。人間の生命は、母なる宇宙の摂理によって生み出されたものです。「なぜ生きなければいけないのか」という問いではなく、「与えられた命をどう使うか」感性から湧いてくるものを、理性を使って、どうやって実現していくかを考えなければいけないのです。
☆☆☆☆☆☆☆
この命、何のために使うか
☆☆☆☆☆☆☆
使命とは、この命何のために使うか。使命とは、この命の使いどころ。使命は、苦難と共にやってくる。
問題・苦しみ・悩み・苦難は、潜在能力を引き出すためにでてくる。
使命がどこにあるかを教えてくれる。追いつめられた状況になっても、それでもなお必死に取り組んだとき、はじめて潜在能力が目をさます。使命とは、理性では考えることができないもの。
理屈を超えたものである。
人から教えられるものではない、命の底から湧いてくるもの。
「このためになら死んでもいい」
と思えるものを見つけること。
「このためになら死んでもいい」という仕事や「この人のためになら命も惜しくない」という人との出会いが、命を燃えさせる。「このためになら死んでもいい」という想いで、どういう生き方をするか、何をするかということを自ら考えていくところに人間的な生き方の基本がある。理性で考えた夢・目的・目標は、決して人間の命に真の喜びは与えない。理性で作った目的を実現しようとした瞬間から、その目的や結果に囚われてしまう。
自分の使命は、これだと思っても、問題が出てくると「これでいいのか」と不安になることもある。
「このためになら・・・」と燃えるものがあれば、どんな問題も乗り越えていける。
燃えてこそ人生。感じてこそ人生。やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・

生きるとは
芳村思風先生の
一語一会 
vol.705
☆☆☆☆☆☆☆
生きるとは
☆☆☆☆☆☆☆
人間において生きるとは、ただ単に生き永らえる事ではない。
人間において生きるとは、何のためにこの命を使うか、この命をどう生かすかということである。
命を生かすとは、何かに命をかけるということである。
だから生きるとは命をかけるという事だ。
命の最高のよろこびは、命をかけても惜しくない程の対象と出会うことにある。
その時こそ、命は最も充実した生のよろこびを味わい、激しくも美しく燃え上がるのである。
君は何に命をかけるか。
君は何のためになら死ぬことができるか。
この問いに答えることが、生きるということであり、この問いに答えることが、人生である。   思風

結婚は、恋の墓場で、愛の始まり
芳村思風先生の
一語一会 
vol.704
☆☆☆☆☆☆☆
結婚は、恋の墓場で、愛の始まり
☆☆☆☆☆☆☆
「愛」とは努力すること。
結婚して、長く一緒にいると「結婚する前と、この人は全然ちがう」
「変わった」「こんなはずじゃなかった」という場面が何度も出てくるようになる。
結婚するまでは、見えなかったこともある。
こんな人だと勝手に考えていたこともある。
そのギャップに気づいただけのこと。
相手も変わっているかもしれないが、自分も変わっている。
「恋」している時には、アバタがエクボに見える。
結婚すると、アバタはアバタとして見えてくる。長く一緒にいると長所が見えなくなって、短所や欠点がクローズアップされてしまう。
自分の欠点や短所は見えづらい。自分にも短所欠点があると自覚しなければ、他人の欠点短所が許せない。人間は不完全です。
だから「愛」とは許すことからはじまる。
恋の病は、結婚すれば完治する。
多くの人は結婚して数年、いや数ヶ月ですでに“選ぶ相手を間違えた”と後悔する。
生活を共にし始めたらすぐ正気に戻るから。
アバタはもうエクボには見えなくなる。
結婚したら孤独でなくなる、淋しさが癒される、幸せになれるなんて、勘違いだと気づく。
夫婦関係はまさに人生最大の“行”。これほど人を成長させる人間修行はない。
愛を感情や情熱だと思っているために、夫婦や恋人たちは長く一緒にいると、愛が冷めた、もう愛がないから別れましょうという話になってくる。
価値観、性格が合わないという理由で簡単に別れる。独占欲や所有欲、執着や嫉妬は、愛ではない。
人間は不完全だから誰かを愛したら嫉妬も感じる。
嫉妬によって関係性を破壊してしまうような行為に出るのは真実の愛から出たものではない。
自分では愛だと思っている自己中心的な感情であり欲望であり執着。
相手が自分の欲求や要求を満たしてくれなかったら消えてしまうような愛は、とても幼い、未熟な愛です。恋は、正しい理性が働かなるために修羅場を作るが、愛は正しい理性と一緒になることで育くまれていくものです。
真実の愛には、待つ時間、耐える時間、許す力、信じる力、愛し抜く力、責任といった意志の力や判断力・決断力、忍耐力、努力が不可欠なのです。
恋は自然、愛は芸術。
愛は文化なのです。

愛とは
芳村思風先生の
一語一会 
vol.703
感性論哲学は、愛の哲学です。
今まで「愛」は、学問として取り上げられてきませんでした。
これからは、「愛」を能力として捉え、愛の実力を成長させる。
愛と恋は違います。
といったような学問的な解説より、まず「愛」についての思風先生の言葉から紹介します。
☆☆☆☆☆

☆☆☆☆☆
愛とは感じるもの。
愛とは信じること。
愛するとは許すこと。
相手の短所を許し、長所を見つけてほめて伸ばす。
愛とは肯定すること。理屈を超えた肯定の心
愛とは認めること。
愛は努力して作るもの
愛とは相手の成長を願う心情。
愛とは新しい精神文明の核となるもの。
愛は理屈を超える力。
愛とは人間と人間を結びつける力。愛は人間と他のものを結びつける力。愛はすべてを結びつける原理
愛は人間関係の力。
愛とは他者と共に生きる力。
愛とは他者中心的な心の働き、思いやりである。
愛は理性を使った努力。
愛とは「どうしたらいいのだろう?」と悩む心、考える心。
相手のために努力できるということが「愛」があるということ。
人間を愛するというのは不完全な存在を愛するということ。
自分と同じ考え方の人しか愛せないのは、偽者の愛、自分しか愛せない愛である。
愛とは、命を生む能力、育む能力、満たす能力。
愛するとは、相手から学ぶこと。
包容力は、愛。
愛とは、今一番人類に必要とされている能力。
結婚は恋の墓場であり、愛の始まりである。
恋は自然、愛は芸術
愛するもののために生きる。
男性は、万物の父となり、女性は万物の母となる。
父性愛と母性愛、これが愛の究極の姿です。
古来より「愛」は、文学の中でしか語られてこなかった。
愛を学問の対象とされてこなかった。
愛を能力として捉え、実力として成長させることがこれからの時代の課題です。
感性論哲学は、愛の哲学です。
やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・

一道一徹 無頼独行
芳村思風先生の
一語一会 
vol.702
☆☆☆☆☆☆
一道一徹 無頼独行
☆☆☆☆☆☆
いちどういってつ ぶらいどっこう
一つの道を不撓不屈の信念を持って貫き通す。
何かに頼り、助けてもらいたいという気持ちが出てくると、自分の底力は出てこない。
誰にも頼らず、自分の力で何とか解決していこうとしないと自分の智恵や潜在能力は出てこない。
今の自分の顕在能力である理性が、その限界点に到達して、理性ではどうにもできないという状況の中で、万策尽きたとあきらめないで、だけどなんとかならないだろうか、と努力を続けなければ、潜在する新しい能力が命から
湧き上がってくることはないのである。芳村思風先生は、「不頼独行」という生き方を学生時代から自分に課してきたそうです。しかし実際に問題や悩みを自分が抱えたとき、悩みながら苦しんで考えていただけでは、なかなか智恵が湧いてこない。 そのとき、理性の使い方に問題があると気づいた。 「理性は客観的と普遍性の能力であるから、物事を外から客観的に眺めることをしないと正しい答がだせない。悩みながら考えるのではなく、悩みを外から客観的に見ることが大切。そこで自分の悩みを他人の悩みだったらと考え、他人から相談されたら、自分はその人にどうアドバイスするかを考える。そうすれば正しい答が湧いてくることに気づいた。 こうして不頼独行の生き方ができてきたそうです。芳村思風先生ご自身のの座右の銘の言葉だそうです。

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